毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

地方性によって異なる「あなたと海へ行きたい」という言葉の意味 ——島田荘司作品への連想

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尾道へ旅行した時の写真


何ヶ月か前に、ツイッターにて「太平洋側と日本海側では『海へ行こう』という言葉の意味が全然ちがう」というツイートを見かけて、とても面白いと思った。

さらに、冬であれば日本海側で「海へ行こう」という言葉は「心中しよう」という言葉と同義だ、という。

また、海のない県で誰かに「海へ行こう」と言うことは、「あなたと特別なことがしたい」という意味だ、というツイートもあった。説得力がある。

 

 

同じ言葉でも、シチュエーションによって全く異なる意味を持つというのはよくある。これを「生まれ育った地方によって」異なるというのが、私の琴線に触れる。なぜならそれは多くの場合、より細かな生活を連想させるからだ。そこで生活する人たちの日常の多様性が、私の心をときめかせる。

 

 

私は来月、新潟県に旅行する予定で、その計画をせっせと立てている最中である。新潟といえば、日本海側の代表県のひとつと言っていいだろう。海岸線もすごく広いし。

 

この「あなたと海へ行きたい」ツイートで私が思い出したのが、ミステリー作家・島田荘司の『寝台特急はやぶさ」1/60秒の壁』『火刑都市』であった。

ミステリーなのでネタバレ防止のためあまり深くは言えないが、この2作品ではどちらも、似たようなタイプの犯人が登場する。そしてその犯人の手がかりを探るため、どちらの作品でも刑事は犯人の故郷と思われる新潟へ向かうのである。

 

そこで新潟の海は、とても暗く、きびしく、そして悲しいものとして描写される。その地へ赴いた刑事は、その土地の暗さ、さびしさを見て「なぜこんな土地にも人は住まねばならないのだろう」とまで思う。

 

寝台特急はやぶさ」1/60秒の壁』『火刑都市』で登場する刑事の造形は異なり、前者の刑事は広島県尾道市の出身、後者は江戸っ子、となっている。作品の出来としては、圧倒的に後者の方が素晴らしい。

しかし、土地の対比という点において、尾道出身の刑事と新潟出身の犯人というのは際立っている。

 

尾道は風光明媚な土地として名高い。瀬戸内海に面した穏やかで明るい気候で、この刑事はそんな土地で大人になったのだ。

この刑事は少年時代の回想をし、「あの頃の自分は孤独だった」と思う。友達もおらず、一人もくもくと喫茶店で読書をしていた……しかし、遠くその背景には、きらきらと波を返す美しい瀬戸内海がある。

 

私が島田荘司作品を好きな理由の一つとして、作者がいずれも犯人にとても同情的だということがあげられる。

今回あげた2作品も、新潟出身の犯人に対して、刑事は非常にこまやかな対応をする。土地の対比はただ単に暗澹としたキャラクター描写のためにあるのではなく、刑事が犯人の心情を理解しようとつとめ、その孤独に寄り添うために描かれる。

どちらの土地が明るい、どちらの土地が暗い、というのではないその描き方が、私の心に残ったのだろう。