毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

長い旅の記録(中編)  ――4泊5日新潟旅行記

f:id:hikidashi4:20190522194909j:image直江津からフェリーで、佐渡島の小木へ。そこからさらに島の南端の方にある宿根木へ向かう。

この宿根木という地域は島のもっとも南西部にあり、交通の便がいいとは言えない地域なのだが、江戸時代の面影が残っている集落ということで、私はぜひ行ってみたかったのだ。

 

宿根木へ行く前に、小木の観光案内所を訪ねる。荷物を預かってもらうだめだ。

受付の人がなにやらおかしな動作をしているのが、遠目にもわかった。ゴーグルのようなものをつけて、目の前でぶんぶん何かの端末を振っているのである。不思議に思いながら近づいてみるが、目の前に来ても彼女はこちらに全く気付かずにその動作を続けている。

「何をしてらっしゃるんですか?」

その一心不乱な様子がおかしくて、私は笑いをこらえながらそう尋ねてしまった。

すると女性はゴーグルのようなものを外して、どこかとんちんかんな調子で説明をした。

「あっ! これは! VRのですね、設定をしているんです! 設定ができていなかったので!」

島でVRを使った観光もしているのだろうか? その人のかもし出すおおらかさに、私は一遍で彼女が好きになった。

荷物を預かってもらう。記入した用紙を渡すと、彼女は用紙を二つに切って、片方を私に渡した。

「あっ! 違った、こちらでした!」

渡された用紙が逆だったのだ。私はその人に見送られて、小木を後にした。

 

 ***

 

f:id:hikidashi4:20190522194522j:image宿根木ではまず、たらい舟に乗った。

たらい舟の船頭さんは、ひょっとしたらまだ10代かしら、と思うような若い女性だった。大きなたらいに、彼女と私だけが乗り込む。いろいろおしゃべりをしたが、彼女は私のプライベートなことは全く聞いてこない。そういうところが今の若い人っぽいな、と思った。

しかし彼女が不親切だったわけでは全くなく、私が尋ねると佐渡のことをいろいろ話してくれた。

 

海の水はびっくりするほど透明度が高く、雲の垂れこめた中をギーコギーコとたらい舟で沖まで出ていくと、あまりの寄る辺なさに旅情が湧いてくる。

「今日はとても波が静かですね。こんなに静かな時も珍しいです」

と、船頭さんは私に語った。

 

 ***

 

f:id:hikidashi4:20190521223655j:image宿根木集落は町全体が昔の面影を残していて、とても興味深かった。公開されている建物に入ると、土地の人が人懐こく話しかけてくれる。交通の便があまりよくない土地のせいか、程よく空いていてちょうどよい。

町では、たくさんあるお地蔵様のどれにも、鮮やかな花が供えてあるのが印象的だった。

 

さて、アクシデントが起こったのは、小木への帰りである。私はバスを1本逃してしまったのだ。

バスを小木で乗り換えて、真野というところまで行くつもりだった。しかし、バスを逃してしまった今、これからタクシーを呼んで小木まで戻り、真野行きのバスに間に合うだろうか?

タクシー会社に電話してその旨を伝えてみると、ちょっと間に合わないと思う、との返事。私は「わかりました、そのバスには間に合わなくていいので、タクシーお願いします」と言った。幸いにも、一時間後にも小木から真野行きのバスがあることを調べていたためだ。

 

しかし、来たタクシーのおじさんは私が車に乗り込むなり、「バスには間に合わせるから」と言う。

私がびっくりしていると、さらに「バスを待たせているから」との言葉。

「ええ!? でも、そんな、私一人のために待ってもらうわけには」

「いや、大丈夫。間に合うから」

「いやいやいや、そんなわけには」

50歳くらいの人だろうか、やけにしっかりした断定口調である。パニックになっている私に、おじさんはちゃんと説明をしてくれた。

1、本土からの船が遅れていること

2、船から降りた乗客を乗せるまで、バスは出発しないこと

3、そのため、タクシーを飛ばせば間に合うだろうこと

4、船とバスとタクシーの運営会社はみんな同じであること

 「まぁ、もし先に船が到着しても、バスを待たせるけど」

あまりに淡々とそう言うので、私はそのおじさんがかっこよく見えてくる。どうしてそこまでしてくれるのだろう? 島の人はみんなこうなのだろうか?

 

小木の道路はほぼ信号がない上、車もほとんどないのでタクシーはぎゅんぎゅん走った。私は観光案内所に荷物を預けているので、そこで荷を受け取らなければならないことを言う。

案内所前でいったん降ろしてもらうと、VR装置をぶんぶん振っていた女性が「待ってました」とばかりににこにこしながら素早く荷物を渡してくれた。私はお礼を言って、再びタクシーに乗り込んだ。

(これは今でも不思議に思うことで、彼女はどうして、私が急いで荷を受け取りにくるとわかっていたのだろう? 事前にわかるはずはないのに……彼女は本当に「こうなることはわかっていました」とばかりに、すぐ荷物を渡してくれたのだ)

 

私はすぐにタクシーの料金が払えるように、お金を準備しておこうとした。が、こういう時に限って万札しかない。そのことを言うと、おじさんに「なんだと?」と言われた。このおじさんかっこいいなぁ、と思っていた私は、その口調にもちょっとときめいてしまった(彼も言いながら少し笑っていた)。

「ごめんなさい」

「まぁ、しょうがない」

おじさんは船乗り場に連結したバス停につくと、バス案内所に速足に万札を持って行った。「両替して。速く!」というおじさんの声が聞こえた。やはり、おつりがなかったらしい。ここまで特別サービスで飛ばしてもらったのに、さらに手数をかけさせてしまって、申し訳なさでいっぱいになる。

戻ってきたおじさんに、私は「細かいおつりはいらないです。ここまで急いでもらったので」と言ったが、おじさんは「そんなこと言いなさんな、これからもお金は必要になるんだから」とちゃんと全額おつりを渡してくれた。その言い方がいい。最後までイケメンな人だった。

私はお礼を言って、ぺこぺこしながらタクシーを降りた。

 

バス乗り場まで走って行くと、まだ目的のバスには誰も乗り込んでいなかった。本土からの船はまだ、着いていなかったのだ。

すっかり気疲れした私は、バスの座席に深く体を沈めた。しかし、このバスに乗り込めたのも、いろいろな人が手を尽くしてくれたおかげである。本当にありがたいことだった。一人の観光客のためにここまでしてくれるなんて、すごいなぁ、というのが素直な気持だった。

 

このことが今回の旅のもっとも大きなアクシデントであり、かつ思い出に残っている出来事となった。

 

 ***

 

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これは真野にある尾畑酒造。私は前を通っただけ。


真野は観光地ではないので、夜ご飯を食べるところがあるかはわからなかった。

私は食事にほとんどこだわらないので、旅先でもしばしばコンビニやスーパーでご飯を買って済ませてしまう。そういう人間なのだ。

しかし、バスに乗っているときに雰囲気の良さそうなお店を見かけた。宿からも近かったので、夕食はそこでとることにした。

 

店内に入って驚いたのは、そこの内装がとても素晴らしかったからである。

古民家をリノベーションした家屋なのだそうだが、暗さはまったくなく全体的に明るい。その明るさにも関わらず、室内には贅沢に木が使われているため、木目が浮かび上がってとてもやわらかい印象になっている。

そして、空間の使い方も異様に贅沢だ。テーブルとテーブルの間隔がとても広く、丸ごと一室には机も椅子も置いていない。ちょっとしたダンスだって出来そうな空間である。

 

私なんかが入ってよいお店かしら…と思ったが、案内してくれた店員さんが実に感じがよくカジュアルな対応なので、かろうじて引き返しはしなかった。

素敵なお店ですね、と言うと彼女は大げさに謙遜した。私と同じくらいか、あるいは少し歳下にくらいに見えた。

「コンサートなどもされているんですか?」

室内にピアノも置いてあったので、私はそう尋ねた。

「先週オープンしたばっかりなんです」

とんでもない、というように彼女は顔の前で大きく手を振りながら言った。その仕草がなんだか親しみ深いような気がして、「はて…?」と思う。

私は1人で食べる時はお酒は飲まない(単純に、お金がない)のだが、ここではなんだか飲んだ方がよい気がして、お酒をつけた。

 

お腹を満たして、さらにしたたかに酔っ払ってお会計に行く。気づいた料理中のコックさんに、少々お待ちくださいと言われた。

彼はスパゲティを作っており、私は急いでませんので大丈夫です、と言う。コックさんが皿に盛り付けているスパゲティの、緑色の春キャベツが鮮やかだった。

「お店、できたばかりだそうですね」

「そうなんです」

「元々地元の方なんですか?」

「いや、この前は沖縄に住んでいて」

沖縄! まさか、佐渡で沖縄という地名を聞くとは思っていなかった。

「へぇー、どうして佐渡に?」

酔って口が軽くなっている私は、そう尋ねる。

「子供に四季を感じさせたいと思って…沖縄はあんまり四季がはっきりしてないので。妻が元々沖縄出身なんですが」

妻。先ほどの、身振りがやや大げさな店員さんのことが思い出された。なんだか親しみやすく感じたのは、そのせいかもしれない。新潟の人たちは、あまり身振りが大きくないような気がするのだ。

雪国の人かそうでないかというのは、やはりどこかしらに出てくるものなのかもしれない。

「僕は東北出身なんですけど」

それも、なんとなく納得した。どこがどうとは言えないのだが…。それにしてもこの旦那さん、モデルさんかしらと思うくらい顔が綺麗な人である。

そうやって話しているうちに、先ほどの店員さん、もといこのお店の奥さんが戻ってきた。私はお会計をお願いする。

「沖縄のご出身だそうですね」

「はい、そうなんですよ!」

「寒くないですか?」

「寒いですよー! ほら、ヒートテック着てる」

彼女は自分の服の袖をめくって、中に着ている服を私に見せた。私はケラケラ笑って、「私も着てる」と言った。

「でも、他の人は今日は暑いっていうんですよ!」

旦那さんが横から「今日は暑くて汗かいてるよ」と言う。私はびっくりした。

 

 ***

 

お店からの帰り、道には人っ子ひとりいない。しかし、どちらの方向からも蛙の声が聞こえてくる。

途中、私は立ち止まって、暗闇の中でじっと田んぼを見つめた。しかし、蛙の姿はどこにも見えない。ただ、降るように声だけがずっと聞こえるのだった。

島の夜道をとぼとぼと歩く。真っ暗なわけではないのに、月がどこに出ているのかわからなかった。