毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

恐竜と禅寺とだるまちゃんの旅 ―福井旅行2泊3日その①

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私は移動の多い旅行をするので、旅行中の最大の願いはとにかく雨が降らないことである。その次が暑すぎないこと、寒すぎないこと。これさえ叶えば、あとはどうにかなるとさえ言ってもいい。

 

北陸は天気が崩れやすい地域であるが、今回の福井旅行では3日間雨に遭わずにすんだ。本当によかった。

おかげで、たくさんの地域を回ることができた。武生(たけふ)に始まり、今庄、福井、永平寺、丸岡、勝山と順調に巡れてこんなに嬉しいことはない。どの地域もそれぞれ見どころがあり、素晴らしい旅行だった。

福井、ありがとう。ここでは、その素晴らしい思い出を、せめて記録しておこうと思う。

 

 ***

 

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福井県で最初に降り立ったのは、武生である。

駅を出るとすぐ、「「かこさとし」「いわさきちひろ」のふるさと 越前市」という看板が出迎えてくれる。そう、ここは日本で生まれ育った人なら一度は読みきかせしてもらったであろう、絵本作家の2人を生んだ町なのだ。

その看板の向こうには、雪吊をした木々が見えた。北陸に来たのだなぁという感慨が湧く。私は、わくわくしながら観光案内所へ行った。この町の地図をもらうためである。

 

案内所では、おばあさんが受付の人に話を聞いていた。どうやらこの町は初めてらしい。お昼にどこで何を食べようかを尋ねている。このお年で、しかも一人で知らない町へ来るのは、いったいどんな用事なのだろう。この方も観光なのだろうか。もし、そうだとしたら素敵である。

そんなことを考えながら待っていると、おばあさんが受付の人にお礼を言いながら去っていった。町の地図をもらい、かこさとしふるさと絵本館に行きたいのだと言うと、その女性がバスを教えてくれる。

「ここにかこさんのお土産もありますよ」

女性が指した先には、かこさとしの絵本のキャラクターが使われたグッズが並べてあった。この案内所に入ってすぐ、よく見える場所に置かれている。

「ほんとですね、すごくかわいいですね」

「これは記念館には置いていないんです、ここにしかないんです」

「えっ! そうなんですか」

「あんまり作ってなくてね」

私は慌てた。今ここで買っておいた方がいいだろうかと思ったのだ。するとそれがわかったらしい女性は、「帰りに寄った方がいいと思いますよ」と言ってくれた。確かに、どうせ駅には戻らないといけないので、帰りに買った方が荷物が少なくてよい。

「そうですね、ありがとうございます」

私はかこさとしふるさと絵本館へ向かうことにした。

 

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かこさとしふるさと絵本館の庭で、さっそくだるまちゃんを見つけた。遊具にデザインしてあるほか、滑り台にもあしらってある。その素朴な愛らしさに、思わず胸がきゅんとなった。ヤツデの木の下には、本の形の石板があり、ヤツデの葉っぱを持っただるまちゃんの絵本のページが開かれている仕様だった。なにもかもが愛らしい。

私は自分の幼少期を特に平和だったとは思わないが、かこさとし作品のキャラクターを見ると、不思議なことに、自分の子供だった頃がとても平和で穏やかなものだったような気がした。うまく言えないのだが、そういう架空の記憶が想起されるのだ。それは私個人の記憶ではないのだが、かこさとし作品のキャラクターを通じて、とても素直に受け入れられ、そのことに私は感動した。

 

記念館に入る。だまるちゃんとてんぐちゃん、かみなりちゃんのお人形、そしてかこさんの写真が出迎えてくれる。不思議なくらい懐かしい気持ちでいっぱいになる。

記念館の一階は、絵本や紙芝居の図書館だった。受付らしい人は書き物をしていて、私が入ってきても何も言わないので、そのままぶらぶらする。入館料が無料なので、こういうものかなと思いながら見ていた。しかし、別の男性が私に気が付き、紙を挟んだバインダーを持ってきた。

「すみません、この用紙に記入してもらえませんか」

その男性が非常に腰が低いので、私も恐縮しながら用紙に記入した。私が福岡から来たとわかると、彼は驚いてとても嬉しそうににこにこする。この記念館の説明を受けた。一階は写真を撮ってもいいけれど、二階の原画は撮影禁止。また、一階も絵本の表紙が大きく映るのは禁止、と説明を受ける。

私はお礼を言ってから一階の写真を撮り、『からすのパンやさん』の絵本を読んだ。からすのパン屋さんの子供たちがわがままで気ままなこと、登場人物たちがあわてんぼうや早とちりであること、そしてかこさんのあとがきから、この作品がロシアのオペラからヒントを得たということなどを知って驚く。

かこさんは東京大学工学部を卒業し、工学博士でもあった。子供の頃には全く知りもしなかったそれらの情報に、今は感心しながら納得する。セツルメント運動(民間人が貧困地域に赴いて、医療や宿泊場所を提供し貧困に苦しむ人を支える運動)の一環として、子供たちへ作品の読み聞かせをして鍛えられた、という背景も知った。偉大な人だ……私たちも、そんなかこさんからの恩恵を受けて育ったのだ。

二階へ上がる階段の壁には、かこさんの写真や自画像が張ってあった。説明文に、「おかあさんのおなかにいるときから かこさんはめがねをかけています」と書いてある。たしかに、絵の中で女性のおなかの中にいる赤ちゃんは、めがねをかけている。ふふっと思う。

 

二階ではかこさんの原画を見て、『だるまちゃんとてんぐちゃん』を読んだ。だるまちゃんは欲しがり屋さんでお父さんにおねだりして、お父さんが見当違いのものを持ってくると「ちがうよう」と駄々をこねる。しかし、自分で工夫してそれっぽいものを作りちゃんと満足する。そして、ここでもかこさんのあとがきに驚いた。かこさんが達磨や天狗の起源について触れているのである。なんと深い教養だろう!

グッズがないと言われていたが、この記念館でもグッズはあった。ただ、駅の観光案内のと全くかぶっていないし、品数も少ない。私はだるまちゃんのキーホルダーを買って、記念館をあとにした。

 

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次に向かったのは、ブックカフェゴドーである。グーグルマップの写真から、なんとなくいい感じなブックカフェではないかと期待していた。何より、店の名前が『ゴドー』なので、玄人感がする。『ゴドーを待ちながら』から取っているのは、ほぼ間違いないだろう。

そしていざ行ってみると、期待以上であった。店内の雰囲気もさることながら、本棚の本が素晴らしい。本好きの本棚なのだ。高橋源一郎、阿部公房、中原中也ランボー松岡正剛吉本隆明、民芸の選集、美術全集、映画、歴史、漫画……。最近の本や漫画もぽつぽつ混じっているあたりが、また好感度が高い。

入った時にすでに7割ほどお客さんがいたのだが、私の後にも続けてお客さんがあり、あっという間にお店はいっぱいになってしまった。店主さんは帽子をかぶった穏やかな初老男性で、入って来る人と短い会話を交わしている。

私はカウンター席に座っていたのだが、本棚を見ている間に隣の席に白人男性が座っていた。お昼からビールを飲んでいる。店主さんは、自分からその人の話を穏やかに聞いてあげていた。それが押しつけがましくない優しさであることは、一目で見て取れた。その男性はそわそわしていたし、店主と話すと嬉しそうだったのだ。

あ、ここはただの喫茶店ではなくて、サロンなのだな、と思った。そして、こういう場所があるこの土地は、文化的にとても豊かだな、と思った。

隣にも部屋があり、そちらも本がいっぱいだったので、店主さんに見てもいいですか、と訊ねる。店主さんはこころよく案内してくれた。また、私は店内の写真が撮りたかったのだが、お客さんでいっぱいだったので、この別室の写真を撮っていいですかと訊ねる。こちらもこころよくOKしてもらえた。

お勘定の際、本が好きなの?と聞かれた。好きです、と答えると、ここの本を借りて行っていいよと言われる。私は自分は福岡から来たのだということを言わずに、へぇ、いいですねと言った。店主さんは近くの棚からメモ帳を引っ張り出すと、こういう風に名前を書いたら好きなものを借りていいよ、と言う。武生に住みたくなった。私は、ただお礼だけ言ってお店を出た。

 

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このあとは、いわさきちひろが生まれた家を記念館にした「ちひろが生まれた家記念館」に行った。いわさきちひろの絵も幼少期から見慣れていたので、とても懐かしく思ったが、なぜかだるまちゃんを見たときほど美しいものは込み上げてこなかった。私の好みの問題かもしれない。

ただ、芸術的にいわさきちひろの絵はとても美しく、原画を見れてよかったと思った。また、こちらの記念館は受付の女性の武生弁(?)がとても優しく柔らかい響きで、お話できて非常によかった。これはあとでわかることだが、福井地方と武生地方の言葉はびっくりするほど違う。武生で話した人々の言葉のイントネーションは、明らかに関西風である。優しく品がある。

 

さて、いわさきちひろの記念館を出て、再び観光案内でかこさとしのグッズを買うと、私は迷った。これから行く場所の滞在時間についてである。

私は今庄(いまじょう)に行きたかった。そこは、私の好きな現代作家・舞城王太郎の出身地と言われている地域だ。それだけで、私はとても行ってみたい。しかし、そこはいわゆる観光地ではないことがわかっていた。電車も各駅しか止まらない。

悩んでいるのは、地方の電車の本数が少ないからである。行くことはできる、しかし帰りの電車が一時間後にしかない。特に観光地ではない地域で一時間は厳しいのではないか? なんなら、今の時間で武生からなら特急に乗ってすぐ福井まで行ける。しかし、今庄に行くと、その特急すら逃してしまう。本当に今庄に行くだけの価値はあるのか?

 

悩みに悩み、しかし私は今庄へ行くことに決めた。その一時間が、この旅で大きな感動をもたらすことになるとは知らずに……。