毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

恐竜と禅寺とだるまちゃんの旅 ―福井旅行2泊3日その②

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悩んだ末に降り立った今庄駅の降車客は、私の他には一人だけだった。

向かいのホームへ渡るため、階段を上っていくと「おかえりなさい」というメッセージが私を迎える。「ようこそ」ではないのだな、と思った。この駅で降りる人たちは、ここに住んでいる人がほとんどなのだろう。

 

改札はピカピカで真新しかった。窓口に人がいるほか、待合の椅子にも2人が電車待ちをしている。荷物は預かってもらえるだろうかと思い駅員さんに尋ねてみると、コインロッカーがありますよと案内してくれた。おや、と思う。コインロッカーがあるのだ。

荷物を整理して軽装になり、改めて駅を見回してみた。こぢんまりとしているが、とても綺麗だ。なんとお土産ブースもある。そして気になったのは、待合室の隣に「今庄まちなみ情報館」という別室があることだった。

「宿場と鉄道で栄えた今庄の歴史や見どころを紹介しています」

自動扉にはそう書いてあった。入ってみる。

今庄は北陸と京都を結ぶ宿場町として栄えていた町であること、また鉄道が通ってからも交通の要所であったことなどが紹介されていた。とても凝った美しいパネル展示や、鉄道の精巧なジオラマなどが私を驚かせる。駅でここまで力の入った歴史紹介をしているところも珍しい。

お土産ブースもぜひ見たかったが、電車の乗り合わせの関係であまりゆっくりできない。最初は一時間を持て余すのではないかと思っていたことが嘘のようだ。

私は急いで駅舎を出ると、舞城王太郎のデビュー作『煙か土か食い物』の本を建物と一緒の画面に写るよう撮影した。たまたま人が近くを通っているのに出くわし、こそこそする。目的を達成できたことよりも、なんだか自分が場違いなことをしているようで恥ずかしかった。

 

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駅舎を出て、とりあえずかつての街道へ出ようと山に向かって歩き出す。北陸は九州よりも寒いに違いないと厚着をしてきたが、武生ではそれが暑いくらいだった。ところが、ここ今庄では驚くほど空気がひんやりしている。風が全くないのに底冷えがした。寒さというよりは、冷たさといった方がいいような感覚である。山の空気がひしひしと感じられた。

平日の4時ごろだというのに、あたりはひっそりとしている。歩いていると、どこかへ吸い込まれそうな気がした。それがとても心地いい。ただ街を歩いているだけでどきどきする。立派な家がたくさんある。どの家も庭が美しい。静かである。

かつての街道に出た。いかにも歴史のありそうな門構えの建物の前に、「高札場跡」と看板があるので読む。その隣には「問屋場跡」とある。これも読む。楽しい。木材も当時のままなのだろう。それらは黒ずんでおり、雪国の長い冬を感じさせた。

そのまま街道筋を歩く。お店もぽつぽつあるが、開いているのか閉まっているのか、よくわからない。開いているとわかるところでも、とてもひっそりとしている。

途中、酒蔵を見つけた。しかし、ここも閉まっているように見える。看板だけ写真に撮り、そのまま歩く。歴史の看板があればまた読む。そうやって歩いて行くと、なんとなく街道の突き当りかなというあたりまでやってきた。そこで一件のお店を私は見つける。「名産 梅肉」と立派な看板が掲げてあった。店の中を覗いでみるが、誰もいない。しかし、明かりはついている。私は中に入った。

広い三和土(たたき)で立ち止まり、中を見回す。昔の家の玄関といった造りである。どっしりとした上がり框、黒光りする木材の床、右手の壁沿いには大きな箪笥が並んでいる。箪笥の一部がガラスケースになっており、その中に梅を使った商品が陳列してあった。左手には賞状のようなものが並んでいる。歴史があるお店であることは、一目でわかった。

お店の奥から人が出てきた。柳のように品の良いご婦人である。挨拶をする。

「あの、全然知らないんですけど好奇心で入って」と私。

するとそのご婦人は、このお店が元は旅籠として江戸時代から続いていることを教えてくれた。ガラスケースの前に両膝をつき、その前に出してある箱から容器を手に取ってくるくると蓋を開ける。

「これはねぇ、梅肉でしてね、これをずーっと作ってるんですけどね」

関西の優しいイントネーションで話しながら、プラスチックの匙でそれを掬って試食させてくれる。酸味はあまり感じられない、とてもまろやかで美味しい梅肉である。

さらに、近くの瓶を手に取ると、これまたくるくると蓋を開け、ほんのり色づいた液体を小さな紙コップに入れてふるまってくれた。

「あっ! すごい、美味しい」

とても美味しい梅ジュースである。朝、始発の電車に乗ってから移動しっぱなしの私にとって、その液体は体のすみずみまで行きわたった。値段を訊くと、意外にもとても廉価である。買うことにした。ご婦人は少女のように喜んでくれる。

「どちらから?」

「福岡です」

「まぁ!」

その驚きぶりがまた可愛らしい。聞けば、つい昨日、福岡の筑豊の人に梅ジュースを発送したのだという。

「福岡はねぇ、行ってみたいんだけどねぇ」

「遠いですもんね」

「でも、福岡と言葉が似てますよと言われたのよ」

そうかな?と私は思った。博多弁も柔らかな方言だと思われているのだろうか? 確かに音は柔らかいかもしれない。しかし、福岡の人間は騒がしいと私は思う。このような静かな雪国からすれば、なおさらだ。

梅ジュースは瓶入りだったため、私がビニール袋に包んでもらえませんかと言うと、ご婦人は家の奥に戻ってビニール袋に入れて持ってきてくれた。よっぽど訪問客が嬉しかったのだろうか、何度も「ありがとう」と言われる。こそばゆい感じである。

お店を出て瓶を覗いていると、ビニール袋にきゅうりの切れ端がくっついていた。おやおや、と思う。行ってよかった。

 

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その後も、特に何もなく静かに今庄の街を散策した。堀口酒店の前で、「鳴り瓢」の看板に思わず声を上げたくらいだ。

なぜこの看板に注目するのかというと、舞城王太郎が脚本を手掛けたアニメ「ID:INVADED(イド:インヴェイデッド)」の主人公の名前が「鳴瓢秋人」だからである。このアニメのキャラクターの名前が、みな福井の酒の名前から取られているとは聞いていたが、いざその看板を目にするとかなり驚いた。

私は故郷を離れて暮らしたことがない。そのせいかもしれないが、全国区のアニメのキャラクターに故郷由来の名前をつけることが、とても奇異に思える。なぜそこまで自分が生まれた土地にこだわるのか? それはどういう愛情なのか(おそらくそれは愛情だろう)? それは自己愛と同じ性質のものだろうか? わからない。

しかし、今庄は確かに美しい土地だった。私はそう感じた。駅舎に戻ってきて、お土産ブースへ行く。とても各駅停車の電車しか止まらない土地とは思えない、豊富なお土産が並んでいる。しかも、デザインがどれもよい。私は迷った末に、蒸気機関車をあしらったデザインの定規を買った。とてもかわいい。

どうしてこんなにグッズがあるのだろう? どうしてこんなに私は満足しているのだろう? 旅はいつも予想外のことが起こるから、不思議である。

帰りの電車は、来た時よりも多かった。みんな福井へ行くのだ。私はすでにくたくたのはずだったが、梅肉と梅ジュースをふるまってもらったおかげか、来た時よりも元気になっている気がした。酸っぱいものが疲労に効くというのは本当だな、と思った。

 

 ***

 

福井駅えちぜん鉄道に乗り換え、泊まる宿のある永平寺に着くと、もうあたりは真っ暗である。この時、スマホの充電がなくなりかけており、Googleマップを使うと充電が切れそうなくらいだった。私は駅員さんに切符を手渡すと、旅館までの道順を尋ねる。当然のように駅員さんはその旅館までの道を知っており、私に教えてくれた。

街灯の少ない真っ暗な道をてくてくと歩く。二泊分の荷物が重い。日が落ちて気温も急速に下がっている。本当にこの道でいいのだろうか? 私はこのまま路頭に迷うのではなかろうか?

死にそうなくらいの寂しさと不安に襲われる。これを味わうと、もう旅行がやめられない。この瞬間のために生きているなぁと感じる。

宿にたどり着くと、美人で話好きのお姉さんが対応してくれた。この土地で生まれ育ち、そのままずっと働いているのだという。私は自分から話すのは苦手だが、話しかけられるのは好きだ。しかしお姉さんがあまりに陽キャな感じなので、少しびびる。しかし、このお姉さんからは、聞いてよかったと思うようなお話を後にたくさん聞くことができるのである。

でも、さすがにこの日は疲れてすぐ寝た。