毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

恐竜と禅寺とだるまちゃんの旅 ―福井旅行2泊3日その④

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福井旅行最終日は、いよいよ曹洞宗大本山永平寺へ行く。私はこのお寺の朝課に参加する予定だった。なんと、集合時間は朝の4時20分である。

それは、朝というよりも夜中といった方がいい時間だ。私は車の運転ができないので(ペーパードライバーである)、本来なら参加そのものが無理なはずだった。

しかし、旅館に宿泊の電話をした際に、宿の人の方から「ご希望なら、永平寺の朝課にお送りしますよ」と言ってくれたのだ。とても悩んだが、こんな機会は二度とないかもしれないと思い、思い切って参加してみることにした。

 

前日、旅館のお姉さんと打ち合わせをする。

「ここを3時45分に出るので、下で待っててくださいね!」

ひえー、と私は内心悲鳴を上げた。明日は3時起きだ。それは午前というよりも、午後27時と言った方がいい気がした。

このお姉さんはとても気さくで話好きで、しかも美人であった。おかげで、いろいろな話を聞くことができた。

意外だったのは、お姉さんが永平寺への朝課へ送った人はここ数ヶ月のうちだけでも3人おり、それがみな一人旅の女性だったということである。

「えっ、すごい。行動力ありますね」

「ねー、でも女の人の方が、行こうと思ったら行っちゃうのよ!」

確かにそういうものかもしれないなぁ、と思った。とはいえ、その人たちはいったいどういう目的で永平寺の朝課に参加したのだろう。お姉さんに聞いてみたが、そこはわからないという。

「仏教に興味があるんじゃない? 心を安らかにしたい、みたいな……」

「悟り系女子?」

「悟り系女子!! そうかもね!!」

私は大学で宗教学のゼミを選択し、一休宗純禅宗の僧侶。ただし、一休は曹洞宗でなく臨済宗の僧侶である)で卒論を書いたので、自分で言っておきながら悟り系女子と一緒にされるのはちょっとたまらんな、と思ってしまった。そこで、つい大学のことをお姉さんに説明してしまう。わが身の小ささである。

「へぇー! 禅を勉強してた人が来たのは初めてです!」

そうなんだ……とこれも意外である。一人くらいはいるかな、と思っていたのだが、そうでもないようだ。

ともかく、永平寺へはお姉さんが送ってくれるので安心だ。問題は、私自身がきちんと起きられるかである。行く前から、緊張することしきりであった。

 

 ***

 

朝、3時40分ごろに旅館の玄関を出ると、お姉さんが車をスタンバイしてくれており、私たちはスムーズに出発した。

道中もいろいろとお話をする。当たり前だが周囲は真っ暗で、すれ違う人も車もない。この時点ですでに、非日常の体験である。お姉さんも、この時期(晩秋)に送り迎えをするのは初めてだという。やはり、寒くなると参加者は少なくなるらしい。

話しているうちに、永平寺についた。

車から出ると、そこは闇の中だ。街灯に照らされて、永平寺の入り口がぼんやりと見えている。左手に永平寺の寺院があり、淡い明かりが灯っているのはわかる。しかし、正面と右手はほとんど闇に溶けていた。何があるのかもよくわからない。

「えっ、真っ暗。こわいですね」

「ほんとや~、なんか入り口は明かりがついてるらしいけど見える?」

「ええ…? どこだろう……」

2人で車を降り、きょろきょろするがわからない。

入り口の「永平寺」と大書きしてある岩の前で、お姉さんが記念撮影をしてくれた。どうポーズをつけたらいいのかわからないので、私はピースをする。LINEで送るよ~とお姉さん。しかし、相変わらず周囲は真っ暗である。

「ここでいいのかな。こわ!」

 入り口から中に入る。お姉さんも一緒についてきてくれる。なんと、彼女はこの時間帯に永平寺の中に入るのは初めてだという。いつもは車でお客さんを送って、そのまま帰っているのだそうだ。こんなところに一人で置いていかれたら、怖くてたまらない。私はお姉さんが一緒に来てくれて、本当によかったと思った。

しかし、中に入っても入り口はわからなかった。この時点で、時刻は4時を少し過ぎたくらいだ。早く来すぎたのかもしれない。寒いので、車に戻って車内で待つことにした。

4時10分になったくらいで、お姉さんと別れる。その場で車を名残惜しく見送った私は、今度は一人で永平寺へ入って行った。すると、先ほどは真っ暗だったところに明かりが灯っている。門が開いている!

しかし、門をくぐり中に入っても、人がいない。しばらく待っていても誰もやってこないので、勝手に人の気配のする方へ歩いて行った。

室内に入り、靴を脱ぐ場所までやってきて立ち止まる。ずらりと靴箱が続いていた。とても大きな施設という印象である。東京で、国立能楽堂へ行った時のことが思い出された。

奥の方に、雲水さんの姿が見えた。こちらへやってくる。とても若く、まだ20代前半から中頃に見えた。ご予約の方ですかと言われたので、そうですと答えると、靴箱の一つに案内される。私の名前が「ご予約」として書いてある紙が目に入った。どうやらここでよかったらしい。靴を脱いでスリッパに履き替えると、永平寺の中に入った。

 

中身もやはり、能楽堂の入り口に雰囲気が似ているなぁと感じた。余計なものがなく、清潔でひろびろとしている。受付で用紙に記入をした。受付の雲水さんも、非常に若い。その方は名札をつけており、名札には下の名前だけが書いてあった。とても丁寧で感じの良い対応をされる。

時間までしばらくお待ちください、と言われる。私の他に一般人の姿はないが、さきほど靴箱に複数の名前があったので、まだ数人は確実に参加者がいるはずだ。待っていると、すぐに人がやってきた。しかし、その人数が思っていたよりもかなり多いのでびっくりする。二十人はいると思われた。おそらく、禅房に宿泊している人たちなのだろう。

その人たちの受付に時間かかるのではと思われたが、すでに用紙の記入は住んでいるらしく、スムーズに終わる。それらの人びとを案内した雲水さんに、私は目を留めた。女性の雲水さんだったからだ。寺院の中には今も女人禁制の山があるが、永平寺では女性も修行をしているらしい。そうであるべきことだが、私は自分の目で女性の雲水さんを見ることができて嬉しかった。

最初に対応してくれた雲水さんが、私を呼ぶ。なんだろうと思っていると、二列に並んだ列の先頭に来てくださいと言われて驚いた。どうやら、一番最初に来たので先頭ということらしい。恐れ多いと思うが、辞退するのもおかしいので、おずおずと従う。

さぁ、いよいよ朝課である。

 

雲水さんについて行って、大きな座敷に通された。畳敷きの部屋に長椅子が並んでいる。最初は、ここでお経を読むのかしら?と思ったが、空調が入っているので違うなと思う。ホワイトボードに「本来本法性 天然自性身」という言葉が書いてあった。曹洞宗の宗祖・道元が深く考えたという言葉である。

コートを脱いでしばらく待っていると、これまた若い雲水さんが入って来た。彼も、果たして三十歳になっているだろうかという年齢に見える。みんな若いなぁ、と思った。

雲水さんのとても丁寧なあいさつで話は始まった。あまり抹香臭いお話はなく、始終柔和な調子で、とても腰が低い。私はへぇーと興味深く聞いていたが、実はもっとも面白かったのは、参加者への質問であった。

雲水さんはまず、「ここで我々は何をしていると思いますか?」という質問をする。参加者は指されて答える。生活を律している、自身を整えている、修行で自分を見つめなおしている……。雲水さんはそれらにひとつひとつ頷き、「そうですね、その通りです」という。

「我々はここで、365日、毎日修行をしています。みなさんが言われたようなことを守るためにも、ひとつひとつ、掃除をするのも、食べるのも、そして寝るのにも作法がありますので、寝ている間も修行をしていると言えるでしょう。なので、本当に、24時間が修行です」

そして食事でのエピソードを披露などして、次の質問に移った。

「では、どうして修行をしているのだと思いますか? それは何のための修行なのだと思いますか?」

すごく本質的な質問だなぁ、と私は思った。どきどきして、参加者の回答を待つ。指された人の答えは、次のようなものだった。

いわく、日々を幸せに過ごすため、よりよい生活を送るため、心を穏やかに保つため……などなど。これらの答えに、私はびっくりする。自分の考えていた答えと、あまりにも違っていたからだ。

もし私がこの質問に答えるならば、それは「釈迦の悟りを自身でも得るため」だと答えただろう。なぜ禅宗では、座禅をするのか。それは、釈迦が悟りを得るまでに、座禅をしていたと言われているからだ。つまり、「仏陀の真似をして、私たちも座禅をし、悟りを得よう」ということらしい。だから、禅宗では座禅、及び修行を重んじるようである。

そして、そもそも釈迦が出家をしたのは、この世が苦に満ちていたからだ。なので、修行で「日々を幸せに過ごすようになる」だとか、「よりよい生活を送る」という答えに、私はびっくりしてしまったのだった。私はこの世は苦に満ちており、それは変わらないという世界観を設定していたので、根本的な世界のとらえ方が違うのだなぁ、と思ったのだ。

雲水さんは、やはり参加者それぞれの回答を「そうですね」と肯定する。禅の言葉である「日々是好日」という言葉を私は思い浮かべた。この言葉は人口によく膾炙(かいしゃく)しているので、一般的にはそのイメージが強いのかな、と思う。雲水さんは参加者のイメージを受け入れつつ、曹洞宗なりの修行の説明をした。

細かいことは覚えていないのだが、ホワイトボードに書いてある「本来本法性 天然自性身」という言葉の道元の解釈が説明されたように思う。本来人間は仏であるのに、どうして修行をするのか、その考えはむしろ逆で、私たちは仏であるからこそ、修行し続けることによって仏となれるのだ、というようなことだった。私もにわか仕込みの勉強しかしていないので、もし間違っていたらごめんなさい……。

ともあれ、この雲水さんが「なぜ修行をするのか」という問いを投げかけたことは、私にストレートに刺さった。その答えは、私自身がどうして禅宗に興味を持つのか、ということの答えでもあったからだ。

 

 ***

 

その後、私たちは朝課のために法堂へと向かった。

この時、私は列の一番前で本当によかったと思った。永平寺の法堂までは、かなりの階段を上らなければならない。夜明け前のまだあたりが闇に包まれている中、その階段がずっと続いている様がとても壮観なのだ。まさに高みを上っている、という感じである。途中で参加者たちの息が弾むのが聞こえてきたほど、その階段は長かった。

本堂はとても立派であったが薄暗く、寒い。30人近くの参加者は、こそとも声を発しない。ぴんとしたものが張り詰めており、言われずとも勝手に背筋が伸びた。

雲水さんから朝課の説明があり、一人一人に経本が渡される。そして、我々はじっと待った。

やがて、雲水さんたちが法堂へと入って来る。

ほとんどが墨染の衣を着ているが、まれに色付きの布を巻いている雲水さんがいる。この人たちの方が位が高いようだ。それにしても……と私は思った。本当に若い雲水さんばかりだ。ほとんどが20代なのではないだろうか。

私は、この中で自ら出家を志願してきた人(生まれがお寺ではない人)はどれくらいなのだろうと思う。もしかしたら、ほとんどいないかもしれない。そう思うと、少しさみしいような変な気持ちになった。

雲水さんが揃うと、何の前置きもなく、読経が始まった。

全部で100人ほどの読経は荘厳で、その低い声が腹の底に響くようだ。経本を渡されているが、指示はない。ただ、我々をそれを聞く。一つのお経が終わると、次のお経へ。そしてまた次のお経へ。

雲水さんたちは読経が終わると、あるいは次の読経が始まる前に、深く頭を伏せる。その際、かならず畳に布を敷いた。頭を畳にこするほど深く伏せるからである。私はお経のことは全く勉強していないので(すみません)、内容は全然わからない。

いくつかのお経が終わると、雲水さんがページ数を書いた紙を掲げる。我々は指示された経本を開くが、唱和はしなかった。やがて、焼香が始まる。私たちは順番に2回の焼香をした。

お経は様々な種類のものが、ほとんど途切れなく何十分も続いた。そしてそれは、静かに終わった。

妙なことに、私は朝課を見学して、非常に気まずい思いをした。これは本来、私たちが見るべきものではないなぁという気持ちがしたからであった。雲水さんたちは修行のためにこれをしているのであって、私たちのためにしているのではない、という思いを強くしたのである。

なのでせめて、この時抱いた「本当は私が見るべきものではなかった」という思いを忘れないようにしよう、ということにした。それくらいしか、私にできることはなかった。

 

 ***

 

その後、雲水さんが簡単に永平寺内を案内してくれた。庫院(ご飯を作るところ)、山門(入り口。ただし、この入り口は入り口でありながら、入門の時と、永平寺を出る時の二度しか通ることを許されない)、僧堂と案内される。

非常に寒く、私はコートの上にマフラーを巻いていた。特に僧堂は床が石畳で、足元から冷気が昇って来るようだった。

「この僧堂は、冬は大変冷えます」と雲水さんが説明する。

「昔はこの僧堂で、雲水たちは石畳の上に直に座って何時間も修行をしていました」

参加者たちがざわざわする。すさまじいなぁ、と私も思う。

「しかし、それで膝や腰を痛めるものが続出したので、今はこの畳を張った椅子に正座をして修行しております。しかしこれでも、かなり冷えますので、冬場の修行はとても厳しいです」

雲水さんが示しているのは、背もたれのない長椅子に、畳を張ったものだった。そして次に、彼は天井近くの木彫りの欄間を指す。

「あそこには仏教の教えが物語として描かれており、全部で十二枚あります。右手の一番奥の絵をご覧ください」

声に導かれ、我々は天井近くの絵を見上げた。

「あそこに描かれているのは、禅宗の開祖と言われる達磨様と、達磨様に参禅を乞うている慧可様の絵です。達磨様は慧可様の参禅を許さなかったので、慧可様は自らの腕を切り落として、その決意のほどを示されました。それほどに禅の修行は厳しく、その覚悟を常に意識しながら、我々はここで修行しています」

私たちは寒さに震えながら、その解説を聞く。今はまだ、永平寺に雪は降っていない。真冬の、しかも午前4時の寒さはいったいどれほどのものだろう。永平寺の雪深さは、山の木々の枝が雪の重さで下向きに伸びるほどだという。私は、頭上の達磨と慧可の絵を見つめることしかできなかった。

 

 ***

 

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永平寺から宿に戻ると、お姉さんが温かい朝食を用意してくれていた。どうでした? と聞かれたので、すごかったです、と言う。

この時で、まだ朝の8時前である。少しだけゆっくりしたあと、私は宿をチェックアウトした。お姉さんに深くお礼を言う。この宿に泊まって本当によかった。

 

永平寺町の朝はすがすがしい。私は福井行きの電車に乗って、最後の目的地である福井県ふるさと文学館へ向かった。

福井駅から少し離れている場所にあったが、ここはぜひ行ってみたいところだった。というのも、この文学館のホームページの情報量がすごかったからだ。福井出身の作家のみならず、福井が舞台の小説はほぼ網羅しているのではないかという情報量には圧倒された。期待してしまうのも無理はない。 

バスに乗ってたどり着いた図書館が、田んぼのど真ん中にあって驚く。しかし入ってみると、とても立派な造りである。空間的にも非常にひろびろとしていて、午前中だと言うのに利用者も多い。これは名のある建築家が手掛けているのでは……と思いあとで検索してみると、槇文彦という建築家の設計であった。なんと、幕張メッセを設計した人である。地方の図書館を有名建築家が手掛けていることは、けっこう多いのだ。

 

そして、福井県ふるさと文学館の展示はやはり素晴らしかった。常設展示で多くの作家が取り上げられている上、デザインも美しくとても見やすい。福井にゆかりの深い作家は顔写真つきで紹介されており、初版本(複製かもしれないが)が並べて展示してあるのも嬉しかった。

しかし、何より驚いたのは企画展であった。この時開催されていたのは「深田久弥没後50年記念展「山があるから」」という展示である。深田久弥という作家(登山家)のことは知らなかったが、せっかくなので入ってみた。

入り口で用紙に記入すると、展示品にまつわるクイズをしていますので、よかったら答えてみてくださいと言われる。ふーんと思いながら、私は気軽な気持ちで最初の展示に向かった。そして、そこで度肝を抜かれる。芥川龍之介の「河童図」が展示してあったからだ。

え? 本物? と思った。原稿などの劣化を防ぐため、最近は展示物も精巧な複製品が多い。なぜここに「河童図」があるのかわからなかったので、これも複製だろうと思ったのである。

しかし、説明に日本近代文学館所蔵と書いてある。間違いなく本物だった。

よく説明を読んでみると、芥川の作品「河童」は穂高岳周辺の土地が舞台で、芥川自身も槍ヶ岳登山をしていたらしい。本気だ…! と思った。この文学館の展示は、ちゃんと見なくてはならない。

その後も、井上靖氷壁』や新田次郎孤高の人』、夢枕獏神々の山嶺』など、これぞという山岳小説の代表作が展示してある。しかも、それらの展示品がきちんと実物なのが感動ものだ。私は『氷壁』を読んでおり、実在の事件がこの作品のモデルであることを知っていた。なので、事件当事者の山岳メモまで展示してあるのを見て、驚くことしきりだった。

展示を見終わって、文学館の受付の人にクイズの紙を渡す。受付の人はとても喜んでくれ、私は参加の記念品のオリジナル缶バッチを貰った。そのデザインがとてもかわいいので、私はそのことを褒める。しかし、本当はもっとこの文学館のことを褒めたい。

すると、なんと受付の人の方から「展示はいかがでしたか?」と言ってくれるではないか!

私は興奮気味に、展示品に実物が多くて驚いたこと、文学館自体もとてもいい作りであること、ホームページの充実ぶりも素晴らしいことなどを話した。受付の人がとても嬉しそうだったので、私も嬉しかった。

時間があまりないので短い滞在であったが、また来たいと思う文学館だった。

 

 ***

 

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帰りの道路で事故が起こり、無事福井駅に帰れるかヒヤヒヤしたものの、私は無事に特急サンダーバードに乗り込むことができた。

終わってみると、なんと短い旅行だったことだろう。しかし、なんと充実した旅だったことだろう。

本当に楽しかった。また、福井に遊びに来たいと思う。