毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

【新潟旅行3泊4日】人生で2度訪れる場所 ~その③ 佐渡編~

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新潟旅行の3日目は、佐渡へ向かった。4日目は帰るのみなので、実質的にはこの日が観光最終日である。

前日、天気が崩れており船で佐渡へ渡れるか(行くことはできても帰ることはできるのか)と心配していた。しかし、目が覚めてみると青空が広がっている。晴れた! 私は元気よく直江津の港へ向かう。

天気ばかりは自分の力でどうにもならないので、晴れて本当に嬉しい。そして、また佐渡へ行けるのだと思うと私の心は弾んだ。

 

 

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ゴールデンカムイの主な舞台は、北海道である。

私がこれまで行ったことのある場所の北限は、東京と新潟なので、北海道は未知の土地だ。作中で繰り広げられる活劇と同じくらい、私にはその土地の描かれ方も魅力的だった。美しく厳しい大自然、そこで暮らす人々の文化や習慣、そしてそこに根付いている人々の生活そのもの……。

しかし、それはあくまで情報として面白いな、きれいだな、と感じていたものだった。ところが、15巻の月島軍曹の過去編になって、そこに描かれている風景に私はびっくりしてしまった。

宿根木(しゅくねぎ)じゃないか!?

え、月島軍曹の出身は宿根木なんだ!?

ゴールデンカムイ佐渡出身のキャラクターが出てくるとはちらっと聞いていたが、いざ出てくると私はとても驚いた。一番驚いたのは、そこが佐渡の宿根木であることが一目瞭然だったことだ。自分の記憶と同じ土地が、物語の中に登場したのである。

まさか、この漫画に自分が行ったことのある土地が出てくるとは思っていなかったので、私はとても嬉しかった。と同時に、ゴールデンカムイが土地にとてもこだわりを持っていること、その土地への尊敬を込めて描かれていることが伝わってきて、改めていい漫画だなと思った。

 

今回、様々なタイミングが重なって、こうして再び佐渡を訪れることができたのは、本当に幸運なことだと思う。

ゴールデンカムイのことと共に、約3年前に私が新潟を訪れた時のことなどを振り返りつつ、それを記録したい。

 

 ***

 

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直江津港から船に乗り込み、佐渡小木港に到着する。乗船時間は1時間15分ほどだ。

私はバス乗り場へ向かった。お天気を心配していたのが嘘のように晴れている。バス停には観光客の姿も多く、みなまぶしそうに目を細めながらバス待ちをしていた。

時間の関係で、私は宿根木より先に度津(わたつ)神社へ向かう予定だった。ここに並んでいる人たちは、どこに向かうのかな?と私は思う。金山がある相川地区は、島の中間部にあるのでここからは大分遠い。酒蔵見学に行くのだろうか? それにしては若い女の子もいるけど……と、私には不思議だった。

バスがやってくる。クーラーが効いた社内に乗り込むと、ホッとした。数人立っている人がいるくらいで、座席はほぼ埋まっている。

やがて私は、一宮入り口でバスを降りた。降車客は、私のほかに旅装のおじさんが一人だけだ。車の行き来のない道路に、ぽつんと私は降り立つ。この寄る辺なさに、ようやく旅が始まる気がする。

 

 

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度津神社へ行くのは、仕事の関係である。いわゆる取材だ。バス停から20分ほど歩かなくてはならないので、そこまでして行く価値があるのかなぁという思いもないことはない。

しかし、離島の一の宮(もっとも社格の高いとされる神社。全国に102社ある)という物珍しさも相まって、せっかくだから行ってみたいという気持ちの方が強かった。

少し歩くと、羽茂(はもち)川に突き当たる。それからしばらくは、川沿いの一本道を歩いた。視界が開けて、青い水田が広がっているのが見えてくる。わー、きれい。私は思わず息を飲んだ。なんでもない風景なのに、なぜか胸がいっぱいになる。私ではない誰かと共有している記憶の中の風景が、目の前にあるという感覚になる。

その後も、神社までの風景はとても美しかった。夏という季節のせいもあるかもしれない。なにもかもが魔法にかかったように美しいので、神社に到着する前から私は満足してしまった。

やがて、橋の向こうに一之鳥居が見えてきた。想像よりもずっと大きく、真っ青な空の下で堂々としている。向かい側から、ヘルメットをかぶり自転車に乗っている親子とすれ違った。その風景ごと、一枚の絵画のようだ。私は写真を撮って、先へ進んだ。

神社の入り口もとても立派だ。さすが一の宮というべきか、どこに出しても恥ずかしくない、という風格が感じられる。とても写真映えするので、やっぱり来てよかったな、としみじみ思った。

 

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度津神社はとても歴史の古い神社だそうだが、1470年の洪水により社地、古文書等が流失したため、その由緒や縁起などは明らかではない。現在の建物は1472年に再建されたものだそうだ。とはいえ、それでも十分に格式高さが感じられる立派な造りだった。

ユニークなのは、祀ってあるのが林業・建築業・造船業の神ということだろう。古来より佐渡がほかの土地との交流がさかんだったことがうかがえるようで、興味深いと思う。

私が参拝している間にもぱらぱらと参拝客があり、地元の信仰が厚いのだなと感じた。帰り際も、神社の入り口が実に立派なのでもう一度写真を撮る。イケメンな神社だ……と思いながら私はその場を後にした。

 

 

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バス停の近くまで戻ってきて、あまりの暑さに追加で飲み物を買った。日陰でそれを飲みながら、そういえばこの近くに能舞台があるはず、と思い出す。グーグルマップを開いて見てみると、すぐ近くだ。バスの時間まで余裕があるので、足を延ばしてみることにした。

あたりは青々とした田圃に囲まれ、真夏だが目に涼しい。途中、畑仕事に向かうらしきおばあさんに追いついたので、「草刈神社の能舞台はどちらでしょうか」と訊ねてみる(これからまた人に訊けるかわからないので、ここで訊いておいた方がいいという判断)。おばあさんはにこにこして、道の先を指さすと「あの一つ屋根」と言った。

「あ! 見えてるあれですか?」

おばあさんは深く何度もうなずく。お礼を言って、私はずんずん歩いて行った。

草刈神社能舞台は、野外にある茅葺き屋根能舞台だった。周囲は綺麗に草が取られ、ごみ一つ落ちていない。私が行った時も、ちょうど清掃をしている人がいて、ここがこんなに綺麗なのは、こういう風に常に管理をしてくれている人のおかげなのだな、と思った。

佐渡は能が盛んな土地としても有名である。日本に現存する能舞台の3分の1が佐渡にあるというのだから、その程度は推して知るべしだろう。ただ、佐渡に流された著名人として世阿弥が挙げられるが、世阿弥佐渡で能を広めたわけではないそうだ。江戸時代に佐渡に渡った佐渡代官・佐渡奉行が基盤を作り、それが広まったというのが通説のようである。

草刈神社の能舞台は戸が立てられていたので、鏡板(舞台後方に描いてある松の絵)を見ることはできなかった。それでもあたりには神聖な雰囲気が漂い、土地の人にとっても大事な場所なのだろうな、ということが伝わって来た。

いつか佐渡で能を観たいな、と思いながら、私はその場を去る。帰りに掃除中の人に挨拶をして頭を下げると、その人も深くお辞儀を返してくれた。

 

 ***

 

宿根木へ向かうバスに乗り込むと、乗客は私一人だけだ。どこに座ろうかなと思っていると、運転手さんから「このバスで大丈夫?(行先は合っている?)」と訊ねられる。私は「はい」と答えた。地方では割とよくあることである。

しかし、ここからは異例だった。なんと運転手さんは、せっかくだから景色の見えるところに座ったらと言って、一番前の席を示したのである。地方のバスの運転手さんによくしてもらったことは何度もあるが、さすがにこういうことは初めてだった。

お言葉に甘えて一番前の席に座ると、バスが発車する。運転手さんは運転中も私に話しかけてくるのでいいのかしらと思うが、他に乗客もいないし、たぶん大丈夫なのだろう。

羽茂の平野を走っていると、運転手さんに「トキセンターには行った?」と訊ねられた。

「いいえ」

「ああそう。ここらへんにはね、トキがいるんだよ」

そう言って運転手さんは、美しい田園風景を指さす。

「えっ、それって、野生のトキということですか?」

「野生というか、中国からもらったトキを育てて増やして、自然に還してるんだね。ここらへんにはそういうトキが多いから、たまに見ることができますよ」

私は、ちらとでもいいからぜひトキが見たいと思ったが、残念ながら見ることはできなかった。その後しばらく運転手さんと会話があったが、他のお客さんが乗り込んでくると運転手さんは運転に専念する。

他のお客さんが降りるとき、停車場を間違えたらしいことがわかると、この運転手さんはとても丁寧に道順を教えていた。旅先でこういう運転手さんに出会えたことも、また運が良かったというべきだろう。

 

 ***

 

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宿根木に降り立つと、記憶そのままの場所であることに驚いた。はるばる来たというよりも、なんだかふらっと遊びに来たというような気持ちになる。

お昼を食べようかなとも思ったが、先にたらい舟に乗ることにした。受付でコースを選択すると(外海まで出るコースを選択した)、すぐに船に乗り込む。

ゴールデンカムイで月島がいご草ちゃんを探す時に乗っていた、あのたらいを半分に切ったような舟そのままだ。一見とても簡素で、転覆しないかなと心配になるような見た目だが、3人で乗っている舟もある。固定された櫂ひとつで操縦する様は本当に不思議で、見ていてもどういう原理なのかわからない。舟の横ではなく、前面で振り子のように操縦するのに、きちんと進むのである。

船頭さんは、よく日に焼けた元気な壮年男性だった。軽快に海に漕ぎ出し、テンポよく解説をしてくれる。宿根木を含む小木半島では海底火山の活動が活発で、ここで見られる岩のようなものは、海底火山から流れ出た溶岩が海の中で固まったものであること。この一帯は浅瀬が多く、普通の船なら入れないところもたらい舟なら入ることができて小回りが利くこと、などなど。

外海の方へ出ていくと、明らかに波の大きさが変わる。お椀で大海に出たような、頼りない気持ちになるが、船頭さんは力強く櫂を漕いで進んでいく。晴れているので、空も海も真っ青だ。まさに、日本海の荒波を身に受けているという気持ちである。

私が前回たらい舟に乗った時は、曇り空のベタ凪だった。その時の船頭さんは若い女性で、彼女も「こんなに波が静かな日は珍しいです」と言うほどだったのを覚えている。それはそれで、とても風情があって素晴らしかった。

そのことを船頭さんに言うと、船頭さんは大変喜んでくれる。しかも、私が福岡から来た客だとわかると、本当に驚いているようだった。

「はぁー、わざわざ福岡からね! そうだ、今度はぜひ夜に来てください!」

「夜?」

新月の日の夜に、ナイトクルーズをするんです。夜光虫が光って、とても面白いですよ!」

それは確かに、とても面白そうだと思った。わざわざ新月の夜に行うなんて、ふるっている。舟が一周して岸に戻って来ると、船頭さんはぜひぜひと言ってそのナイトクルーズのちらしを持ってきてくれた。周りの人にも、私を福岡からのリピーターだと言って紹介する。

すると、そこへ若い女性の船頭さんがやってきた。あれっ、と私は思う。

サングラスをかけて、ショートカットの髪がとても垢抜けたかわいい子だ。前に乗せてくれた船頭さんは、まだ子供っぽさが残る学生さんといった雰囲気だった。目の前の人とは、雰囲気が全然違う。なのに、私はこの人が前に乗せてくれた船頭さんではないかと思った。

福岡からのお客さんだよ、と聞くと、彼女も驚いている。しかし、私の姿に見覚えがある様子は見られない。でも、そうだろうと私は思う。私も、たった3年で変わったのだ。

たらい舟の人たちに盛大に見送られて、私は気恥ずかしかった。そして、お昼ご飯を食べる前に舟に乗ってよかったと思う。あの荒海では、ご飯のあとに乗ったら酔ってそうとう苦しい思いをしただろう。

 

 ***

 

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昼食を食べてから散策した宿根木の町も、私の記憶の通りだった。そんなはずはないのだが、そんな気がした。

2階建ての家屋と家屋が密集して、隙間のようになっている通りを歩く。公開民家である清九郎家や、宿根木のシンボルマークとして有名な三角家の中は、以前見学したので入らない。三角家の前では、多くの人が記念撮影をしていた。ゴールデンカムイの中でも、この場所に鶴見中尉が立っていたな、と私は思う。

来る前に佐渡や宿根木に関する本を読んでいたので、見るとその知識が思い出される。家に使用してある木材は、舟材をそのまま利用したものもあること。公会堂の前にある御影石の橋は「念仏橋」といって、葬式で寺にお棺を運ぶなど、特別な時しか渡ってはいけないと言われているらしいこと。などなど。

晴れているので、影の色もくっきりと濃い。人々が物珍しそうに建物や通りを眺めているのを、私も眺める。廻船業の基地として栄え、一時は佐渡の富の3分の1を集めたと言われるほどだったという宿根木は、当時の面影を色濃く残しながら今も存在している。そういう特色のある街並みと、時代を経てもなお変わらない雰囲気が、おそらく漫画の舞台として選ばれた一番大きな理由ではないだろうか。

集落の一番奥、称光寺へとやって来る。お寺の前にはお地蔵さんが並んでおり、そのどれもに鮮やかな花が活けてあった。これも記憶の通りだ。私はこれを見て、宿根木は素敵なところだな、と思ったのである。

最後に町を見下ろせる場所へ上って、記念撮影をした。隙間なくびっしりと瓦屋根が並んだ街並みを見下ろしながら、ここで月島軍曹が生まれ育ったのだなぁ、と考えたが、なぜかしっくりこない。私にとって、やはり宿根木は宿根木らしい。たくさんある思い出の中のひとつに、月島軍曹の出身地、という記憶が加わった感じだ。別にそれでいいと私は思う。

瓦屋根の向こうに見える海がまぶしかった。いつか、もっとゆっくりこの土地に滞在してみたいものだ。

 

 ***

 

……このようにして、私の慌ただしい新潟旅行は終わった。

私にとって、旅行するとは移動することとほぼ同意である。今回も、長岡→松之山→高田→佐渡と移動してきて思うのは、その土地土地に、そこしかない何かがあると思えるのはいいものだな、ということだ。

ゴールデンカムイで、彼らは北海道のあちこち、果ては樺太まで旅をする。そこで彼らは時に離れ離れになりながらも、同じものを見て同じ時間を過ごし、同じご飯を食べる。そこにはまだ「巨大な力にすりつぶされていない何か」がある。その力とは、当時でいえば、権力的なものと言えるかもしれない。現代でいえば、資本の力だろうか。

すりつぶされていないその「何か」を見るのが、私は好きだ。それを不便だとか時代遅れだとか言うこともできるだろう。しかし、もし、選びたいと思った時に、常にその「何か」の方も選べる世界であってほしいと、私は思っているのだ。

誰だって、他者の意志で自分のことを決めたくはない。巨大な力が、私の意思決定に介在してほしくないのだ。

 

ゴールデンカムイロードムービーとしても読んだ私は、新潟旅行を通じてその思いを深くした。

今回、新潟にめでたく再訪することができたが、もしまた来たいと思ったら、3度目、そして4度目と、いつでもそれが可能である世界であってほしい。最近の世界情勢を見るにつけ、つくづくそう思う。