毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

熊野から遠く離れて(前編) ―和歌山旅行3泊4日の覚書―

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私があまり人が行かないような場所へ旅行へ行く人間だと、周知の人びとに知られるようになったと思う。旅立つ前に、気を付けてね、だとか、楽しんできてね、だとか声を掛けられることも多くなった。

そう言ってもらえることはうれしい。どんなことであれ、自分が大事にしているものを他者も尊重してくれているのだと思えることは本当にうれしい。

私の旅は孤独なもので、それは私が選んでそうしているのであるが、それを他者に隠したり、あるいは後ろめたく思ったりしないでいいということを、私も楽しんでいる。

 

もうふた月近く前、私は和歌山県の熊野地方を旅行した。直線的な距離はあまりないように感じるかもしれないが、福岡市から和歌山県新宮市までは片道8時間かかるので、実はそこそこの大旅行だった。

私の目的はもちろんその土地自体にある。熊野で言えば、それは熊野三社、熊野古道佐藤春夫記念館、新宮市立図書館の中上健次資料収集室、などである。そういうものを有している土地を訪れることは、なんというか、尊敬する大先輩に試合を申し込むようなものだ。よろしくお願いしぁす!! お胸お借りしぁす!! ……自分もそれなりの気持ちで挑むからこそ、胸が躍るし気が高ぶるのである。

熊野はそういう偉大な先輩(?)の一人だったので、「勉強させてもらいます!!!!」みたいなビッグな気持ちで向かった。そして、実際とても素晴らしい土地だったので、大分記憶も薄れてしまったが、今回もちょっとだけその覚書をつけていこうと思う。

 

 ***

 

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日本海側に住んでいる人間なので、太平洋を見ると本当に明るいなぁと思う。

大阪から和歌山県新宮市に行くのに、私は「特急くろしお」に乗って紀伊半島をぐるりと回るルートを取った。車窓からこぼれる陽光とどこまでも広がる少し緑かがったような青い海が、もう自分の生活圏域のそれではない。

しかし、私が座っていた座席は山側だったので、それらの景色を満喫することができなかった。首を伸ばして座席越しに見る波を、なんだかすごく白くて大きい気がする!と思ったが、よく見えなくてモダモダする。どうしてもその白波を間近で見たかったので、そのためだけに私は後に王子ヶ浜まで出向くこととなった。

 

たどり着いた新宮駅は、こぢんまりとしてのどかな感じである。ホテルへ到着して、荷物を置きたいのですがと言うと、もうチェックインされて構いませんよと言われた。受付の人の話し方がとても丁寧で優しいので、あっ、この人はきっといい人だと思い、私は出かける際にもう一度その人に話しかけて周辺の地図をもらう。その際にも、どこに行く予定ですか? 交通手段はなんですか? と聞かれた。いろいろと教えてもらってから、私はまず熊野三社の一つである熊野速玉大社へと向かった。

 

 

 

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速玉大社の入り口は、鮮やかな朱塗りの鳥居と灯篭が美しかった。駐車場の案内の看板のフォントが独特で面白い。その奥に、こんもりと繁る森のような境内が続いている。

鳥居をくぐるとすぐに、佐藤春夫の句碑を見つけた。「秋晴れよ丹鶴城址児に見せむ」。解説には「郷土ご出身の文豪」「佐藤春夫先生」「先生のにこやかなお顔」など、佐藤春夫を郷土の誇りとしているらしい文面が躍っている。私は思わず微笑みながら、神社の奥へと進んでいった。

佐藤春夫和歌山県新宮市出身の詩人、小説家である。詩人として注目されたのち小説家としても名を成し、谷崎潤一郎芥川龍之介などとの交流でも知られる。この熊野速玉大社内に佐藤春夫の記念館があり、それもあって私はここを訪れるのを楽しみにしていたのだ。

この神社の御神木として有名な梛の木(樹齢千年)を見たあと、果たして私は佐藤春夫記念館の案内板を見つけた。神社の本殿とどちらから行くべきか迷ったが、春夫記念館の方へ先に向かうこととする。

それにしても、有名な熊野三社のうちの一社の境内に文学館があるとは、地元での佐藤春夫の評価はすごく高いんだなぁと改めて思った。非常に名の知れた文豪でも、実際に文学館を訪れてみると故郷での評判はあまりよくないのかな、と感じる文豪もいる。そんな中、春夫はこの土地でとても愛されているのだなぁと感じたのだ。

 

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立派な門構えの入り口がすぐに見つかった。ツイッターのフォロワーさんたちがアップされている写真で見慣れた入り口が、今目の前にある。それを見ると、私もはるばる新宮までやって来たのだなぁ、という感慨が湧いた。

門をくぐると、可愛らしいピンクがかった洋風の家が現れる。かっ、かわいい…! 佐藤春夫が実際に住んでいた家を移築したものだということは知っていたが、こうして目にすると想像していた以上にセンスのいいお家だ。中に入ると、その印象はますます強まった。入り口に帆船のレリーフがあってかわいい! 玄関脇のステンドグラスがお洒落! 天井がサンルームになっていて素敵! 一階の応接間の調度品がエキゾチックだけど統一が取れていて趣味がいい! 

佐藤春夫はとても素敵な家に住んでいたのだな、と思った。この家で、彼の憂愁と耽美が混じり合ったような、あの切なくも甘い夢見心地の作品群が生まれたのだ。詩人であり小説家である文豪の生まれ故郷で、実際にその人が執筆していた家を訪れることができるのは、とても幸せなことだな、と思った。

ところで、速玉大社では野口雨情の文学碑も見つけたのだが、こちらはあまり由来がわからなかった。神倉神社にも雨情の文学碑があったので、何か新宮にゆかりがある詩人なのだろうと思う。北原白秋西條八十とともに童謡界の三大詩人と言われた人なので、こちらも文学碑の背景がわかると嬉しい……。

 

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さて、速玉大社の本殿である。鮮やかな朱塗りが美しく、敷き詰められた白い玉砂利が清潔で、とても歴史のある神社なのだが全体的に新しい印象を受けた。もしかしたら、2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」のうちの一つとして世界遺産に登録された際に、全面的に改装したのかもしれないな、と思った。本殿の入り口には、大きく「未来へ繋ぐ 日本の祈り」とある。

境内には「熊野御幸」として、熊野に参詣した上皇や院の名前が連ねてあった。その歴史と格式の高さは、やはりとても貴重なものだろう。ただ、なんとなく、世界遺産として登録される前もこんなにピカピカに清潔で、歴史が対外的にカスタマイズされてたのかな?という気はした。神社も経営があるだろうから、あまり大きなことは言えないが、これは熊野本宮大社でも私が感じたことであった。

 

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新宮の町はゆったりとしていて、夕暮れも心なしか穏やかである。佐藤春夫の誕生の地の碑を見るついでに、近くの「尾崎酒造」を覗く。門構えは派手ではないが、とても落ち着きがあって素敵だ。歴史ある酒蔵は、なぜどこもこんなにかっこいいのだろう。

次に、大逆事件で死刑となった大石誠之助の宅跡にも足を伸ばし、さらに大逆事件の犠牲者顕彰碑を見る。大逆事件は明治時代に起きた、社会主義者が検挙・処刑された事件である。大石誠之助らは反政府的な思想を持っていたというだけで、政府のフレームアップ(でっちあげ)により死刑となったのである。新宮の町は、その弾圧の歴史を今も伝えているのだ。

私は、薄闇が迫る中その顕彰碑の写真を撮った。私のスマホが古い型のせいか、暗い中での撮影がなかなか難しい。写真を加工すればどうにか顕彰碑の文字が読めることを確認して、ようやくホテルに帰ることにした。

 

帰り際、フォロワーさんが「新宮に来たらぜひ買うべき」と言われていたお菓子「鈴焼」を買ったので、ホテルの部屋に着くとそれをものすごく食べたくなった。創業100年以上である老舗の和菓子屋さんで買った一口サイズの鈴形のカステラなのだが、悪魔的に美味しいらしい……。しかし、晩御飯前なので私はそれを我慢した。理性は大事である。

この日は地元のスーパーがホテルの近くにあったので、そこでなにか買って適当に食べた。覚えているのは、せっかく和歌山に来たのだからお刺身を食べよう! と思ったのに、いざホテルの部屋で買ったものを見てみると「長崎産」と書いてあったことだ。ただうっかりなだけかもしれないが、私はどうも根本的に食事に興味がなくていけないな、と思う。しかし、食事の後で食べた鈴焼は本当にめちゃくちゃ美味しかったことをここに報告しておきます。