毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

長い旅の記録(前編) ――4泊5日新潟旅行記

f:id:hikidashi4:20190518224611j:image4泊5日の新潟旅行は、私の旅行の最長記録を更新した。とても楽しかった。

 

旅行に行って不思議なのは、結局覚えていたり印象に残っているのは、そこであった人との会話だとか、何気なく聞いた会話だとかであることだ。

私は決して話好きな方ではないし、人見知りなので自分から話しかけたりはないのだけど、それでも旅先では何かしら会話をする。

もちろん、新潟へは文学旅行目的で行ったのだから、それらが印象に残っていないことはない。けれど、そういうのはただ書いてもいまいち面白くないのだ。

なので、ここでは新潟で体験した面白い会話であるとか、人の印象であるとかを中心に記録しておきたいと思う。

 

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f:id:hikidashi4:20190518224639j:image新潟へは飛行機で行った。ありがたいことに、福岡→新潟直行の便が出ていたのだ。

福岡から新潟へ向かうのは、いったいどんな人々だろう? こう言ってはなんだが、一般的に新潟は、わざわざGWに行く観光地とは言い難い。

飛行機の中で私の隣に座っていたのは、上品なご婦人であった。席につくなり本を取り出して読みだしたので、私はそっと書名を確認した(湊かなえの『ユートピア』だった。ミステリーがお好きなのかしら? と思った)。

 

機内で飲み物サービスがあったので、ホットコーヒーを頼んで啜っていると、そのご婦人がビスコッティを分けてくれた。手作りだけど、私が作ったわけではないの、と言いながら。

「どちらへ行かれるんですか?」

と私は彼女に尋ねた。

会津若松。いつも新潟に降りてから行くの、それが便利だから」

私が新潟へ観光に行くと言うと、彼女は困った顔をした。いつも飛行機で新潟へ降りるが、毎回素通りできちんと街を散策したことがないのだという。

実は私も、会津若松と言われてすぐ思い浮かんだのが「白虎隊」だったのだが、それを言っていいのかよくわからなかったので、彼女の反応にはホッとした。知らないなら知らないと言っていいのだ、と思って。

 

飛行機が新潟へ近づいてきたので窓のカバーを開けると(まぶしくて閉めていた)、眼下が一面の田んぼだったので驚いた。本当に、見渡す限り、きれいな正方形や長方形が敷き詰められているのだ。

私は、本当に米どころ・新潟へやってきたのだという実感が湧いて高揚した。

「すごい。一面田んぼですね」

ご婦人も窓から下をのぞきこんで、越後平野ね、と教えてくれた。

 

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f:id:hikidashi4:20190518224715j:image新潟空港は小さな空港だったが、新潟の街はハイカラで洒落ていて、いかにも港町という感じがした。

 

私は坂口安吾がとても好きなので、「安吾 風の館」は一種の聖地であるから、入る前からドキドキした。そもそも、新潟へ来たのもここが一番の目的地だったからと言ってもいい。

しかし、いざ入ってみるとすぐ、坂口安吾のご子息である坂口綱男さんらしき人が目に入り、それから何も頭に入らなくなってしまった。

貴重な安吾の直筆ノートや直筆原稿を見ても、先ほどの人は本当に綱男さんかしら? という思いが頭を離れない。事前に何度かお写真を拝見していて、お父さん(安吾)に本当にそっくりだなぁ! と思っていた方だっただけに、当人らしき人を見て、情報が処理しきれないのだった。

 

何気ない風を装って、綱男さんらしき人が話している傍まで行ってみるものの、どうしても直視できなかった。

庭に面した廊下で、風の館について解説をしていらっしゃった。内容を聞き取りはしなかったものの、意外に高い声で穏やかな話し方である。

安吾の肉声はYouTuveにあるので、私も聞いていたのだが、あの大柄な体と無頼派の作風に似合わず、声が高くてもごもごした話し方なのを意外に思ったのを思い出した。誤解されがちだが、安吾は人見知りで非常にシャイな性格だったらしい。

 

結局、ぽーっとしたまま風の館を出てきてしまった。記念館も生原稿も、生身のご子息(たぶん)の情報量に圧倒されて結局全然頭に入らなかった。本当にご本人かはわからないけれど。

ちなみに、坂口綱男さんは「安吾 風の館」の館長さんである。

 

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f:id:hikidashi4:20190518224754j:imageその後、「北方文化博物館 新潟分館」へ行った。ここは晩年の會津八一が永眠するまで暮らしたところで、現在は八一や良寛の書をはじめ、様々な書画などが展示してある。

私は會津八一の短歌のファンなのだが、実は八一の書の方はあまり良いとは思わない。書について何も知らないので、ただのフィーリングだけど。

しかし、良寛の書は面白いと思った。弱々しくさえ見える非常に線の細い字なのに、文字の最初は墨を含みすぎてボテッとしている。なんだかとても頼りない字なので、「りょ、良寛さま〜!」と、とても親しみが湧いた。

 

北方文化博物館分館の庭には、八一の歌碑がある。私は庭に下りさせてもらい、歌碑の写真を撮ってから庭を眺めた。

ここに来る前に、私は旧斎藤家別邸というお屋敷に行っている。そこがあまりに素晴らしいお庭だったので、この分館の庭も素晴らしいことは素晴らしいのだが、どうしても斎藤家の方と比べて見てしまう。

しかし、思いがけずこの庭で話しかけられ、そのお話がとても面白かった。

 

 話しかけてくれたのは年齢不詳の男性で、縁側に腰かけて庭を眺めていた。実は私は館内を見学している時からこの人を気に留めていて、それは彼が斜視だったからである。かつて好きだった人が斜視だったせいか、私はなんだか斜視の人が気になってしまうのだ。

 「そこに梅の木があるでしょう、倒れ掛かった」

と彼が指した先には、幹が倒れ掛かって少し苔むしている、大きな梅の木があった。

「これですか?」

急に話しかけられてびっくりしながらも見てみると、その木は幹の根元がざっくり空洞になっている。

「これはねぇ、そんな風になってますが毎年ちゃんと咲くんですよ」

「ほんとですね、根元の方がウロみたいになってる」

「そう、でも毎年ちゃんと咲くんですよ、まだ他の木や花が咲かないうちにね、この木だけ花をつけてるのを見る、それも乙なものですよ」

「へぇ…」

「ここは表にも梅の木があるんですね、だから表の木が咲いていたら、この梅も咲いている。こっちの梅の見頃もわかるわけです」

私はこの部分にもっとも心惹かれた。表の木が咲いたら、この庭の木も咲いている。花が一斉に開くという習性が、美しく思えるような気がしたのだ。

「あの家(旧斎藤家別邸)を見た後だと、どうしてもこちらの庭が見劣りしちゃうけど、こちらもなかなかどうして、悪くないですよ」

地元の人なのだろうか? 不思議な人だなぁ、と思いながら私はその人と別れ、北方文化博文館分館を後にした。

 

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f:id:hikidashi4:20190518224941j:image新潟・新津の次に、私は上越方面へ向かった。小川未明文学館のある高田は、駅から出た時から何かハッとするものがあった。赤レンガ造りの美しい、それでいて奥ゆかしい駅舎だったせいだと思う。

高田の地図をもらえないかなと観光案内所を探していると、それらしき建物があったので中に入る。無人かと思ったが、中に入ると人がいた。60がらみらしきおじさんである。文学館のことを尋ねると、丁寧に教えてくれる。

「どちらから?」と訊かれたので「福岡です」と答えると驚かれる。私は内心にやにやした。やはり、九州からの観光客は珍しいのだろう。

思い出して、「野ばら」の文学碑がある大手町小学校への道順も尋ねた。「学校の先生ですか?」と言われる。私は思わず、「違います」と言いながら笑ってしまった。たしかに、小学校への道順を尋ねる観光客というのはそうそういないだろう。

 

高田城跡の高田公園がとても美しかったので、私も城下町に住みたいなぁと本気で思った。港町らしい開放的な雰囲気の新潟と違い、上越ではすぐそこに山が迫っていて奥まった印象である。街並みは端正に整備されていて、緑が多く、雪を頂いてまだ白い山との対比が素晴らしい。

高田城跡は桜が有名だそうだが、桜と雪が同居する花見はさぞ綺麗だろう。九州では拝めない景色である。また、大きな蓮池もあったので、初夏もきっと素晴らしいのだろうなぁと思った。

 

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f:id:hikidashi4:20190518225422j:image直江津では、人と会話らしい会話はしなかった。

「赤い蝋燭と人魚」の人魚像を見るために、海岸沿いの公園へ向かう。日本海側の夕日は絶景である。人魚像の寂しそうなたたずまいも相まって、綺麗と言うよりは、どこか切なくなるような夕日だった。

そのまま海岸沿いを歩いて、翌日佐渡へ渡る汽船乗り場の下見に行く。万が一にでも、船に乗り遅れたら大変だからだ。

どんどん日が暮れる中、スマホの充電も切れてしまった。猫を抱いたおじさんが家の中から出て来て、猫をゆっくり撫でながら、時折話しかけているのを目にする。新潟の風は冷たく、私は速足で歩いた。

 

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ちょうどこの日が、平成最後の日だった。明日目が覚めたら、新しい元号になっているなぁ、と思いながら、くたくたに疲れた私はすぐに眠りに落ちた。