毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

うどんと阿波踊りとゲリラライブの夜 ―香川・徳島旅行2泊3日 後編―

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さて、旅行2日目は徳島県徳島市へと向かった。特急うずしお徳島駅へと向かう。徳島駅に着いてからバス待ちの間に駅構内を覗くと、素敵なお土産がたくさんあり、ここで買い込みたくなる。しかし、これから市内を巡るには荷物になるので、ぐっと我慢した。

 

バスで向かうのは、徳島県立阿波十郎兵衛屋敷だ。ここは人形浄瑠璃の展示や公演のほか、人形浄瑠璃を育んだ徳島の風土や歴史について学べるという施設である。

徳島県人形浄瑠璃の盛んな地として知られ、特に人形芝居のための農村舞台の数は全国一なのだそうだ。また、人形座や太夫部屋の数、人形をつくる人形師の数も他県と比べると群を抜いて多いのだという。私は人形浄瑠璃を見たことがなかったので、市民の生活の中で今も息づいている伝統的な文化に触れられると思うとわくわくした。

 

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駅からのバスに乗り、雄大吉野川を渡ってそこそこの距離を走った。目的地で降りると、静かな通りに溶け込むように阿波十郎兵衛屋敷の藍暖簾が見える。徳島は藍染でも有名なのだ。

入場料を払って中に入ると、松の剪定された美しい中庭が迎えてくれた。左手に室内式舞台がある建物、右手すぐにショップ、その奥が展示室という造りだ。

この施設では、なんと毎日2回の人形浄瑠璃の定期公演が行われているのだという。その講演の時間があと15分ほどだったので、どうしようかな?と私は思い、ひとまずショップを覗くことにした。しかし、とても小さなお店だったので、結局展示室へ向かうこととなる。徳島の特産品が品よく並べて売ってあって、こじんまりとしていたがとても雰囲気のいいお店だった。

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展示室も思ったより小さなつくりだったが、並べられた人形の姿が圧巻だった。ボランティアの解説の方がちょうど小さなグループを迎えたところだったので、そのグループに混ぜてもらう。が、そのうちに人形浄瑠璃の公演時間となった。わらわらとみんなで移動するのがなんだか愉快である。

舞台には歌舞伎でもよく見る橙・緑・黒の幕が引かれており、客席の椅子に私たちはそれぞれ腰掛けた。幕の上には電子式の表示で今日の演目「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」の文字が出ている。この演目は実際にあったとされる板東十郎兵衛のお家騒動が元になっており、その板東十郎兵衛の屋敷跡に建っているのがまさにこの「阿波十郎兵衛屋敷」なのだ。

客席の埋まり具合は4割ほどだが、白人グループがそこそこいるのが印象的だった。また、演目が始まる前の施設の人の挨拶でも、日本語と英語、さらにフランス語での案内があったのでへぇと思った。フランス語圏に関心を持っている人が多いのだろうか。

さぁ、いよいよ開幕である。舞台の幕が上がると、三味線の演奏と義太夫の語りが始まる。平日は録音だそうだが、この日は祝日だったので生演奏、生謡であった。舞台に人形が登場すると、いやがうえにも期待が高まり、私はドキドキした。

結論から言うと、ここでの人形浄瑠璃のお芝居はプロが人形を操るものではなく、有志の方々が人形を動かして上演されたものだったので、私にはその動きがかなりぎこちなく感じられた。人形の足がよく宙に浮いていたし、一体の人形を3人で操る連携がものすごく難しそうだった。

私はそれまでに人形浄瑠璃に関する本を少しだけ読んで、その舞台の素晴らしさとその世界を作り上げる厳しさにとても感銘を受けていたので、やはりプロのお芝居を見ないといけないなというのが一番の感想となった。

しかし、このように実際に人形が動き演じる舞台を観られる施設があるのは、やはり素晴らしいことだと思う。上演が終わると、私は力を込めて舞台の方々へ拍手を送った。

 

そのあとは、展示室を再度ゆっくり見学する。大阪の人形浄瑠璃と徳島の人形浄瑠璃の違い(大阪は基本的に舞台で上演されるのに対して、徳島は農村の野外で上演されることが多かったので、徳島の方が人形が大きいなど)を学んだり、人形の仕組みについての説明パネルを読んだりした。

小さな施設なので、思ったよりも早く見終わってしまう。私が外に出てバス待ちをしていると、白人男性の2人組が隣にやってきて、私たちはバス待ちの列となった。私は彼らがどういう理由で徳島までやってきて、また人形浄瑠璃を見たのかちょっと聞いてみたいなと思ったが、不躾かしらと思ってやめた。私は英語ができないが、質問しなかったのはそういう理由からではない(英語以外の言語を話す人かもしれない。通じるか通じないかの問題とは違うということ)。

 

 ***

 

その後、私は徳島県立文学書道館へ向かった。徳島に少しでもゆかりのある作家はすべて網羅されているのではと思うくらいの展示数は圧巻だったし、瀬戸内寂聴記念室の展示は歴史的にも貴重なものなのだろうと思ったが、いかんせん私の知識不足のせいで、ほぼ眺めるにとどまってしまった。

しかし、私はどの土地にもこのように公的な文学拠点となる施設が必要だと思っているので、自分の足で徳島の文学館にも行くことができてよかったと思う。

 

 

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さて、昼食はどうしようと思って入ったのは、またもやうどん屋だった。昨日の昼食に食べたうどんがとても美味しかったので、隣の県である徳島のうどんもきっと美味しいだろうと思ったのである。

しかし文学館の近くにあるうどん屋さんで食べたうどんは、意外にも関西風?だった。つゆは透き通って出汁が効いており、麺もやわらかめでいわゆる讃岐うどんとは違うようだ(高松で食べたうどんは、麺の角が直角に近かった)。

徳島ではわかめも有名なので、私はわかめうどんを頼んだ。そのせいなのか、あるいはそのお店が例外的に関西風だったのか…? わからないが、そのお店のうどんもとても美味しかったことはここに報告しておく。

 

 ***

 

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その後、私は徳島市の中心部に戻り、阿波おどり会館へと向かった。徳島と言えば、何をおいても阿波踊りがまず思い浮かぶ。「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃそんそん」。テレビで見る阿波踊りの様子はいつも圧巻だ。徳島に来たからには、何はともあれ阿波踊りを見ておかなければなるまい、というような使命感(?)があった。

阿波おどり会館は、徳島市のメインストリートの突き当たりにある。市内をまっすぐに貫くその道をバスで走りながら、私はそれがまさに阿波踊りのための花道であるように見えたことにびっくりした。この太い通りが、夏まっさかりの時期に大勢の観光客でいっぱいになるさまは、きっと壮観だろう。

それと同時に、高松との対比についても考えずにはいられなかった。高松市の通りはどこもにぎわっていて、商店街の脇道にもお洒落なお店がたくさんあり、街を歩いているだけでとても楽しかった。しかし、徳島市はメインストリート沿いの店でさえもシャッターが下りている店が多く、しかもその状態が長いこと続いているようだ。地方の町に行くと、このような光景を見ることは少なくない。しかし、市の中心部でこのような状態を目にすると、さすがに胸が痛んだ。

 

阿波おどり会館眉山を背にして、最上階がロープウェイ山麓駅になっている5階建ての建物である。ここではなんと、1日に4回も阿波踊りの定期公演が行われているのだそうだ。録画した映像を流すわけではなく、実際に人が阿波踊りを実演してくれるそうだから、それだけでもものすごいことである。

1階の徳島物産展で特産品を眺めていると、公演の時間になる。入場すると、舞台がすぐ近くであることに驚いた。段差もなく、本当に客席の間近である。客の入りは6割ほどで、海外からの団体観光客も多いようだった。

時間になり、すうっとホールの明かりが落とされる。ゆっくりと舞台の幕が開くと、にぎやかなお祭りの音楽とともに、連(阿波踊りのグループ)の人びとが入場してきた。やはり、一人一人の顔がはっきり見えるくらい近いことに驚いたが、それよりも私がびっくりしたのは、彼らの顔が生き生きと楽しそうなことだった。み、みなさん顔が…輝いている…!と思った。

阿波踊りは盆踊りの一種だそうなので、正直なところ私は阿波踊りに何かを期待していたわけではなかった。しかし、実際に踊る人びとを目の前にすると、彼ら一人一人が誇りをもって踊りを踊っていることが伝わってきて、かなり衝撃を受けた。

踊る人の年齢層が若いことも意外だった。40代、あるいは50代と思われる人もいたが数名で、そのほとんどは20代~30代くらいのようである。身のこなしもキレがあって、みんなとても美しい。予想外の展開に、私はかなりわくわくした。

 

総論として、舞台はエンターテイメントとしてよく考えられたもので素晴らしかった。阿波踊りの基本的な部分を押さえ(踊りの編成や年代ごとの歴史、そして現代の阿波踊りを説明)、客席にも参加を促し(体を動かす巻き込み型)、そしてアート・エンターテイメントとして魅せる(創造的な演目を実演)。

特に、プログラムの最後に希望者を舞台へ出てくるように促して一緒に踊り、上手い人を勝手に表彰してしまうのがとても微笑ましかった。想像していたよりもたくさんの人が舞台に出て行ったこともすごかったが(それまでのプログラムの作りがうまいおかげですね)、実際に躍る人びとを見ると、踊りのセンスがある人とない人が一目瞭然なのがわかって私はとても面白かった。やはり踊りのセンスというのは歴然とあるのだな、と思った。

個人的には、現代的にアレンジされたアーティスティックな阿波踊りにも大変感動して、こんなにきれいな阿波踊りもあるのだなと見入ってしまった。素晴らしい文化だと思ったので、これからもぜひこの施設が続いてほしいと思う。

 

 

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その後は阿波おどり会館ミュージアムフロアを見学し、ロープウェイで眉山に上った。眉山は標高290mと決して高い山ではないが、そのなだらかな景観が徳島の人びとに愛されており、街のシンボル的な存在なのだそうだ。

時間は美しい夕暮れ時で、徳島の街並みを一望する眺めも穏やかでとてもよかった。周囲に山や高い建物がないせいか、本当にゆったりした気分になれる。阿波踊りの余韻に浸りながら眺めた夕焼けは、とてもいい思い出になった。

 

それから駅に戻った私は、予定していたものより一本前の特急に乗れることに気が付いて、かなり慌ててしまった。今思えば、徳島土産を買ってゆっくり帰ってもよかったのだが、この時は気がせいて飛び乗ってしまったのである。

高松にも同じようにお土産があるだろうと思ったのだが、一度見た徳島駅の徳島土産の方が魅力的だったように思えてならない。逃した魚は大きいという心理なのかもしれないが、これはちょっと後悔している点である。

 

 ***

 

さて、高松に帰ってきてからも素敵な場所の数々へ行くことができた。しかし、すでにかなり長くこの旅行記を書いてしまったので、記録する程度にとどめようと思う。

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高松市内にある新刊書店「ルヌガンガ」さんは、創造的な棚が素晴らしい本屋さんだった。そのたたずまいからして夢のようにかわいいのだが(外にある「本」の書き文字は平野甲賀!)、ジャンルごとに選書された本の並びが、それぞれ隣の本と絡み合っているようで、まるで棚が生き物のように感じられるところがよかった。

Aの隣に並んでいるBという本と、Cという本の隣に並んでいるBという本は、同じ本でも買う人にとって違うのだ。それを作り出している本屋さんということです。

私が行った時は閉店間近だったので、翌日も開店早々に行って棚をじっくりと見た。香川に関する本を買ったところ、「この本の中にこの店も出てくるんですよ」と言われたことが印象的だった。

 

 

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ルヌガンガさんから少しお店を隔てた向かい側には、「古本YOMS」さんがあった。こちらも雰囲気満点の素敵なお店で、並んでいる本もよい古本屋さんならではの香り高さのようなものがあった。

私が行った時はそこそこ遅い時間だったのだが、続々とお客さんがあってにぎわっており、街の本屋さんとして親しまれているのだな、と思った。こういうお店が私の近所にもあったらいいのにと思う。ちょっと背伸びして買いたくなるような本がたくさんあったが、私は中国文学者の対談集を買って帰った。

 

 

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翌朝、私は喫茶「城の眼」へ向かった。ここは彫刻家のイサム・ノグチや、音楽家武満徹も通ったといわれる喫茶店である。さらに、店内の壁面はニューヨーク万博博覧会の日本館のために作られた石彫のレリーフの試作品が使われているらしい。

…というような情報から、せっかくだから行ってみたいなと思い足を運んだ。しかし、いざ来てみるとその店構えのオーラに圧倒されてしまい、なかなか店内に入ることができない。ここまで来たのだから、とようやく覚悟を決めて中に入ると、その独特な空間に圧倒されてしまう。私にもっと威厳があればよかったのだが、残念ながら威厳とは程遠い人間なので、どう見ても場違いである。

しかし、お店の優しいマスターが好きな席にどうぞと言ってくれたので、腰を下ろすことができた。注文を通してもらい、しばらく店内を眺める。入り口両脇には石造りの巨大なスピーカーがあり、なんとこれは1つ3トンもの重さがあるそうだ。そこから流れる音楽に耳を傾けながら、前衛的でシックな店内に見入っていた。おそらく、私には20年くらい早すぎるお店だったのだと思う。

しばらくして、コーヒーが運ばれてきた。それを啜りながら本を読んでいると、私より先に来ていたお客さんが、お店の壁面やスピーカー、イサム・ノグチが座っていた席などについて尋ねていた。店主さんはそれに丁寧に答えている。そんな様子を眺めながら、こんな重厚なお店なのに、店主さんは飾らなくて素敵だな、と思ったことを覚えている。

 

 ***

 

このようにして、私の香川・徳島旅行は終わった。いつも通りバタバタと落ち着きのない旅であったが、どこも素敵でとても楽しい旅であった。何より、私の中の茫漠とした思いがかなり紛れてとても助けられた。

 

私は現状の生活でもかなり行先がわからず、実はこれから自分はどうなるのだろうと思っている。そうなろうと思ってそうしているのではないのだが、なぜかそうなってしまう自分に呆れてしまう気持ちもある。

しかし、旅先の記憶は思い返すと確かに私が握りしめられると思うものの一つだ。もしかしたら、私は一生自分の安住の地を見つけることはできないかもしれないが、これからもそういう確かな基点として、旅を続けられればいいなと思う。