毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

うどんと阿波踊りとゲリラライブの夜 ―香川・徳島旅行2泊3日 前編―

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おそらく、私は現在が人生の中でももっとも自由な時期なのだが、それでも何かと不自由でたまらない。本当ならば、すべてを置いて旅に出たい。今回はそんな気持ちを再確認する旅行となった。

いつも旅は素晴らしい。私は本来ならば、ずっと旅することを望んでいる。永遠に帰りたくない。

瀬戸内海を渡り、高松の楽しい街を歩き、徳島の文化に触れて思うのは、そのようなことだった。しかし一方で、私は別のことを考えてもいるのだ。それは、なぜ私の魂が安住できる場所はないのだろうということである。

もしかしたら、私の本当の住処があるのではないだろうか、と思いながらめぐる街は、どこも美しい。どんな街角でも、私はもしかしたら自分はここに住むべきかもしれないと思うし、もしかしたらここで人知れず死んでしまうのかもしれないなとも思う。

 

高松も徳島も魅力的な街で、ひょっとしたら私の終の棲家となった土地だったのかもしれない。しかし、こうして帰ってきて自宅でブログを書いているので、残念ながらそうではなかったようだ。

私のとりとめのない妄想はともかく、その思い出はとても楽しいものだった。なので、その2泊3日の記録を残していきたいと思う。

 

 

 

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博多から岡山への新幹線の車内で、私はずっとちくま日本文学の「菊池寛」を読んでいた。素晴らしく面白い。この日は天気がよかったので、普段ならば時折車窓の景色を楽しんだと思うのだが、本があまりに面白いので夢中で読んでしまった。

菊池寛は、香川県高松市出身の作家である。文藝春秋社を興し、芥川賞直木賞を創設した人物としてもよく知られている。今回私が高松を旅行先に選んだのは、菊池寛記念館に行きたいからというのが大きな理由の一つだった。

菊池寛は以前岩波文庫で読んで、こんなに面白い作家だったのかと驚いたものだった。今回ちくま日本文学の名編集で読み、改めてなんて上手い作家だろうと思う。エゴイズムのさびしさ、人間の我執を超えた先にあるものを、簡潔な文章でテーマ性豊かに描いておりとてもいい。

 

岡山からは、快速マリンライナーに乗った。本州から四国へ、電車で瀬戸内海を渡れるのは本当にすごいことだと思う。最初、窓側に座席を取れなかったので落ち込みそうになったが、海を渡る直前の駅で窓側の席が空いたので、移動して景色を見ることができた。

瀬戸内の島々が浮かぶ海は、その美しい青さが目に染みるようだ。真下を見るとその穏やかなさざ波まで見て取れる。波が優しいなぁと思う。私にとって、四国はこの穏やかな海を渡っていくところというイメージである。

 

 ***

 

たどり着いた高松駅はかまぼこ型の建物で、かまぼこの切り口にあたる側面がガラス張りになっていた。そのせいか、とても明るく開放的に感じた。

まずはホテルに荷物を置きたかったので、私は徒歩でことでん高松琴平電気鉄道)の高松築港駅(たかまつちっこうえき)へ向かう。途中少し迷ってしまい、さらに切符を買ってから反対側のホームに行ってしまったが、なんとか電車に乗り込んだ。電車は2両で、レトロな黄色の車体がかわいらしい。ごとごとと揺られて、すぐに瓦町にたどり着いた。ホテルに荷物を預けると、気合を入れる。

さて――。

高松でやりたいことは、たくさんあった。ありすぎて困るくらいだ。なので、初日の目的は次の5つとした。

1,菊池寛記念館へ行く

2,菊池寛銅像や文学碑を見る

3,うどんを食べる

4,香川県庁(丹下健三設計)を見る

5,予約制古本屋・なタ書へ行く

全てを時系列に書くとだらだらした記録になるので、ここでは要点だけを書いていこうと思う。

 

 ***

 

最初に果たしたのは「3、香川県庁(丹下健三設計)を見る」である。

香川県は知る人ぞ知る近現代建築の宝庫なのだそうだ。私は全く建築には詳しくないが、ホテルだとか博物館だとかの大きな建物が好きなので、見てみたいなと思った。

 

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香川県庁に行く前に、百十四銀行本店の近くを通るので、こちらにも足を運んでみる。ブロンズの外壁の色合いが面白く、とても個性的な建物だ。

一通り外観を眺めて写真を撮り、中に入った。白いタイルにまるで塔の入り口のようなデザインのシンプルなエレベーターの乗り口が並ぶ廊下がとても美しい。

内観も写真に撮っていいのかな?と思ったので、廊下脇に立っている警備の方に聞いてみると、撮影OKだと言われる。さらにその人は床のタイルを指して説明をしてくれた。

「この模様は瀬戸内海の波を表現しているそうですよ」

足元に視線を落とすと、白を基調にしつつもとろこどころ黒いタイルが入った一見不規則な模様である。しかし不思議と調和がとれており、確かにその様子は光によって優しく表情を変えるさざ波のようだ。

その警備員さんの後ろに流政之の彫刻があったので、こちらも写真に撮らせてもらう。すると警備員さんは、廊下の奥を指して「あの外に見える緑の壁も、流政之が作ったものですよ」と教えてくれた。「草壁画」と言われる、壁に実際にツタを這わせた「生きた」作品である。

「この廊下の奥に、ちょうどあの壁が見えるように作られたらしいです」

な、なるほど…!と私は感激した。白い廊下の突き当りにあざやかな緑の壁がある色彩づくりは、確かに美しい。すべてが計算して作られているのだな、と思う。

「草壁画」もぜひ間近で見たいと思ったので、警備員さんにお礼を言って、私は廊下を抜けて壁画も鑑賞した。実際に対面してみるとかなり大きく、風景に溶け込んでいるので、言われなければ気が付かなかっただろう。後で調べてみると、壁の高さは10m、幅は44.5mもあるらしい。なんとも巨大な「生きた壁」である。すごいなぁと思いながら写真に収めた。

 

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百十四銀行がとてもいい建物だったので、香川県庁舎(東館)も楽しみだな、くらいの気持ちで行ったところ、その予想は大きく外れた。そのことに、私自身がかなりびっくりした。

香川県庁舎の手前の交差点で建物が目に入ったのだが、その時点で私はもうかなりの衝撃を受けた。何がそんなにすごかったのか、いまだによくわからないのだが、とにかく、こ、これは格が違う…!というようなことを思った。ちょうどその時は平日のお昼時だったので、県庁周辺は昼食に出ている人たちがたくさん歩いていた。ふつうにみんな歩いている、と思った。こんなにすごい建物があるのに、ふつうにみんな歩いている…!

建築物の存在感がすごいので、目が離せず、ちょっとよくわからないまま、私はふらふらして県庁に近づいていった。お、おおお……。近づけば近づくほど、これはすごいという気持ちが確信になっていくような気がした。

 

香川県庁を手がけた丹下健三は、主に戦後から高度経済成長期にかけて活躍した世界的な建築家である。東京都庁、広島平和記念資料など、多くの人が一度は目にしたことがある建物を設計し、「世界のタンゲ」とも呼ばれているらしい。香川県庁は、そんな丹下健三の初期の三部作の一つに数えられる建物なのだそうだ。

一階部分はかなりひろびろとしたピロティ(壁がなく、柱で支えられた外部空間)になっていて、しかもフロアの壁がガラス張りなので、とても開放的に見えた。それでいて建物自体は非常に直線的で、頑強な印象のコンクリート製である。それらが違和感なく調和しており、シンプルなのに本当に美しい。

そして中に入っても、とにかく私は圧倒されてしまった。すべてが……すべてがすばらしい……。空間が……調和している……。

入ってすぐ目の前に猪熊弦一郎の巨大な陶板壁画があるのだが、その赤い色彩も全然けばけばしく感じず、むしろモダンでシックである。右手すぐには空中に伸びるようなシンプルだが浮遊感のある階段がしつらえられ、建物の角に沿ってギャラリースペースになっている。左手は陽光が降り注ぐ明るいロビー。その手前が受付となっていた。

これは…と私は内観を見て思った。東京上野の、国立西洋美術館に似ているな……。しかし、悲しいかな私の語彙力ではどこがどう似ているのか、上手く言葉にできない。むしろ国立西洋美術館は私の中で冷たく暗い印象だったので、この明るく広々とした香川県庁とは根本的に違う気もする。

もどかしさを感じたが、見て回っているうちにギャラリースペースの解説に「丹下健三ル・コルビュジェ国立西洋美術館の設計者)の建築理念を意識し~」みたいなことが書いてあった(ものすごくうろ覚え)ので、あっ、やっぱりそうなのか、とは思った。そう思うだけなら簡単である。

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一般市民も自由に出入りできる美しいロビーには、隣接している日本庭園からの陽光がさんさんと降り注いでいた。庭に出てみるが、この庭自体はぜんぜん大したことはない。むしろ私は、実際にここに来るまでおまけのように日本庭園があることを、丹下健三のような著名な建築家でも、日本的な意味合いを建物に付属したかったのかな?程度に考えていた。

しかし、建物の中から見た時、ここに庭があることがいかに重要であるかを感じて、私は自分の浅はかな考えが恥ずかしくなった。あのロビーの開放感、自然な明るさ、そして落ち着きは、この庭があるからこそ作り出されたものだということがよくわかったからだ。さえぎるものがない空間自体が建築の一部なのだな、と実感することは私にはとても楽しい経験だった。

 

完璧な芸術なんてこの世に存在しないと思うが、私は香川県庁にある種の「完璧」に迫るものを感じたように思う。うまく言えないが、それは私にとって絶対的な美しさではなくて、数学的な美しさだったので、そう感じたのかもしれない。

おそらく、時が数十年経って私が今の私でなくなっても、香川県庁は変わらず美しいだろう。建築なので耐久や劣化の問題はあるかもしれないが、ほぼ同時代人の手が作り出したものにそう思えることはとても貴重なことなので、大切にしようと思う。

 

 ***

 

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香川県庁の近くにうどんの有名店があったので、昼食はそこで取ろうと思っていた。しかし、いざその店の近くまで来ても、人の気配が全くしない。人気店だそうなのに、おかしいな?と思っていたら、表に張り紙がしてあった。なんと、「人員不足のため今日はお休みします」と書いてある。

次は菊池寛記念館へ行く予定だったのだが、県庁から記念館までの道にうどん屋がない…! 他のものを食べるべきか?と思った。今日は初日なのだから、まだチャンスはたくさんある。

いつもの私なら、あっさり諦めただろう。しかし、なぜかこの日はどうしてもうどんが食べたくて、私は違ううどん屋さんへ行くことにした。結果的には、これは正解だったようだ。なぜなら、この旅行で食べた3食のうどんのうち、この初日に食べたものがもっともおいしかったからである。

面白かったのは、食べている間だけでなく、食べたあともずっと口の中(?)に美味しい記憶(?)が残ったことである。食べたのは普通の釜玉うどんで、特別な具材は使ってあるように見えなかったのに、不思議な体験だった。

 

 ***

 

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菊池寛記念館もとてもよい記念館だった。来る途中の電車内で菊池寛の本を夢中で読んだせいか、私自身が菊池寛への尊敬がとても高まった状態で見られ、コンディション的にも最高だった。

これはちくま日本文学の解説で井上ひさしが書いていることだが、菊池は貧しい生まれで学業にも生活にも苦労したらしい。しかし、その人生は「もうダメだ」と思った時に誰かから救いの手がある、ということの連続だったようだ。非常に合理的な人だったらしいが、それは強い道徳意識に裏打ちされたもので、そこが菊池寛菊池寛たらしめていたのかなーということを感じた。

また、彼が西洋の演劇にとても強い影響を受け、その要素を自分の作風として見事に落とし込んで創作をしていたということが展示から伝わってきて、私はそれがとても印象に残った。わかりやすく鮮やかなテーマの描き方、ヒューマニズムに富んだキャラクターづくりなど、なるほどと腑に落ちるところがあってとても納得した。

菊池寛は文壇の大御所といわれただけあって、交友関係もかなり華やかで人によってはそこも興味深いポイントだと思う。写真の展示も多く楽しかった。

 

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この記念館のほかにも、高松市では各所で菊池寛が推されている様子が伝わってきて、ほほえましかった。菊池寛自身の銅像があるほか、代表作「父帰る」の銅像も通りのかなり目立つところに配置してあり、また文学碑も見つけることができた。私が宿泊したホテルがある通りの名前も「菊池寛通り」である。

こういうことも地方を旅行する醍醐味のひとつといえるだろう。作家が故郷でどういうふうに迎えられているのかは、やはり実際にその土地に行ってみないとわからない。

 

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そしてこの日最後のイベントは、予約制の古本屋・なタ書さんへ行くことだった。古本屋が予約制とは、どういうことなのだろう。面白そうなので、行く前から私はとても楽しみにしていた。

なタ書の入り口は草が茂っており、本当にここでよいのかな?と不安になるようなところである。勇気を出して入口に踏み入ると、すぐ階段になっており、先が見えない。すいませーんと声を上げるが、返事がない。勝手に入っていいのだろうか? もう一度声を上げると、ようやく「はーい」という返事があった。どうぞーという声が続いたので、私は靴を脱いでこわごわ急な階段を上がっていく。

店内は本に満ちた素敵な空間だった。しかし、人の姿が見当たらない。お返事はあったんだけどな?と思いながら奥へ踏み入ると、床に座り込んで本を読んでいる男性がいてびくっとしてしまった。

「あ、あの…」

おそるおそる声をかける。

「ああ」

その人は煙草をぷかぷかふかしながら、私に初めて気づいたというように振り返った。そのまま何も言わない。私も何も言わない。しばらくの無言のあと、その人は再び口を開いた。

「ああ。予約してたTさん?」

「はい。そうです」

「ああ、好きなところ見て。荷物もどこでも置いてください」

その人にあまりに気負いがないので、すごいなぁと思いながら私はお言葉に甘えることにした。店内には、彼以外に誰もいない。本がぎっしり詰まった空間を独り占めできるというのは、それだけでかなりいい気分だった。

しばらくは楽しく本棚を眺めていた。私の本の趣味とはちょっと違う感じだが、手作りだと思われる棚の配置やローカル雑誌を取り揃えているスペース、ちょっと怪しげなサブカル本なども置いてあるところが秘密基地のようでとても面白い。

そうやって楽しい時間を過ごしていると、若い女の子がお店に入ってきた。最初はお客さんかな?と思ったのだが、やがて店主さんと話し込んでいるのがとぎれとぎれに聞こえてくる。進路について話している様子で、彼女は岐阜へ行くらしい。やがて次々にお客さんがやって来た。それらの人々に店主さんはのらりくらりと対応している。

驚いたのは、店主さんが私にも話を振って来たことだ。私は話をしたくてここに来たわけではないので、盛り上がっている彼らが楽しければいいと思い、ちょっと話を振られても適当に答えてあとは本棚を見ていた。しかし話がひと段落すると、また店主さんが話しかけてくる。すごいなと思った。なぜかというと、これがこのお店のスタイルなのだろうということがわかってきたからだ。ここは古本屋だが、おそらくコミュニケーションもサービスの一つなのだろう。それが合わない人は、おそらくここには来ないのだ。ここは古本屋であると同時に、誰かに話を聞いてもらう場所でもあるのだ。

染色を学ぶためにインドに留学するというアナキストの女の子の話を聞きながら、私は居場所がないと感じている若い人たちがこういう風にちょっと強がったり相談したりできる場所があるのはとてもいいことだなと思っていた。私も若い時、身近にこういうお店があったら少し安心できたかもしれない。

「今日、ここでゲリラライブがあるんですよ。よかったら聞いていってください」

なので、店主さんにそう言われて、私は聞いていこうかなと思った。

ところがである。その時間になっても、当のアーティストさんがやってこない。しかし、誰も焦っている様子はない。そのまま、あっという間に半時間が過ぎてしまった。私はホテルのチェックインの時刻が迫ってきたので、どうしようと不安になってきた。その旨を店主さんに言うが、やはり全然焦る様子がない。彼の人柄からして、そうですよね、と思うが、私はかなりハラハラした。

ようやくアーティストさんが到着する頃には、私はお暇する時間になっていた。いつ切り出そうかなとタイミングをうかがっていると、店主さんが私を見る。あっ、出ていいよと言ってくれるのかな?と思った。

「Tさん、このままじゃ1曲も聞かないままになっちゃうので」

「はい」

「何か1曲歌ってもらいましょう」

ええーーーーー!? 私は内心びっくりしたが、そのままトークを振られて引くに引けなくなった。とんでもないことになってしまった。しかし、なんだろう、すごく面白い……。こんなの初めてだ……。

結局、私は2曲聞いてお店を出た。もちろん、時刻は大幅にオーバーしている。でも、この夜の経験は私にとってとてもいい思い出になった。

私は予定や時刻を破るのが苦手なのだが、しかし、この夜の経験はそれを上回る何かがあったのだと思う。それは得ようと思って得られるものでなく、とても貴重なものだということが、今もこの出来事をとても美しいものにしているのだろう。