1人暮らしをして思うようになったのは、私の両親はとても料理が下手だったのだなぁということだ。
私は食べ物の好き嫌いの多い子どもだった。ナスもカボチャも豆類も嫌いだったし、大きいトマトも嫌いだったし、ホウレンソウもあまり好きではなかったし、とにかく挙げればきりがない程度には好き嫌いが多かった。
しかし、一人暮らしを始めて初めて自分でかぼちゃを煮たところ、そのおいしさに感動した。ほくほくなのである。味付けもちゃんとかぼちゃの味がする。私の母親の煮たかぼちゃは、いつもやわやわのべちゃべちゃで、箸でつかむと崩れてしまっていた。さらに、しょうゆの味が濃かった。
玉ねぎとねぎだけはいまだに苦手だが、それ以外はほとんど食べられるようになった。
料理はレシピ通りに作ればだいだいおいしくできることは、大変な発見だった。母親の料理の腕前は上記の通りだが、父親はもっとひどかった。彼は料理の本を買うのに、全くそれを見て料理を作らないばかりか、化学調味料は体に悪いと思い込んでいたので、味付けがいつも「健康的」なものだったのだ。
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私は福岡市内に住んで、市内で働いている。両親が住んでいる実家も市内である。
それを言うと、どうして実家で暮らさないの?と聞かれることがある。その方が明らかに経済的だし、交通の便も大差がないからだ。
両親と離れて暮らしている理由を説明するのは、意外と難しい。
だいたいは、「その方が気を遣わなくて楽だから」と答える。そして、だいたいの人はこの答えでも納得してくれる。
しかし、本当はそうではないのだ。これは質問した人の家族が、私の家族とは環境が違うだろうと思っての答えなのだ。
たとえば、両親と待ち合わせをする。両親は必ず遅れる。
たとえば、父の車に乗せてもらう。彼は車を運転している最中にも電話を取るので、私は父の車に乗せてもらわないようになった。
たとえば、久しぶりに実家に帰る。とても雑然としていて、ある一定の生活スペース以外はずっと物が出したままになっている。
だいたい何時くらい、だいたいどれくらい、ということを彼らは守ることができない。そして、実家暮らしをしていた時、私は「ほとんどの人がそうなのだ」と自分を納得させようとしていた。
しかし、私はどこかで気づいていた。私の両親はとても怠惰である、と。けれども、それを指摘して彼らがそれを直すことはないとわかっていたし、私は家で自分だけ規則正しい生活をする気力もなかった。
結果として、両親と離れてみて、私はとても楽になった。
私は彼ら独自のルールに合わせるより、世間のルールに合わせる方が楽なことを発見したのだった。彼らの「いつ・どれくらい」は常にフィジカルなもので、きちんとした基準がないのだ。
世間のルールが自分には厳しすぎると感じることも、よくある。私は数字が苦手だし、予定を立てるのが下手な上、それらを達成する能力にも欠けているのだ。
しかし、両親と会うと、それでも社会のルールで生きていく方がいいと感じる。
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叔父(母の兄)が亡くなった時、私は父の車で葬儀場へ行ったのだが、彼は葬儀場は分かっていると言っていざ着いてみると、誰もいなかったことがあった。葬儀の開始時間はとうに過ぎていた。それでも父は、「おかしいな、でも大丈夫大丈夫」と言っていた。結局、30分くらい遅れて本来の式場に着いた。
叔父は身寄りのない人で、実の娘が一人いたが、彼女はほとんど見舞いに来ておらず、臨終の際も病院に来なかった。そんな叔父に唯一頻繁に顔を見せに行っていたのが、私の両親だった。彼らは叔父が危篤だという連絡を深夜に受け取って、午前2時まで叔父に付き添い看取ってあげていた。
深夜に車を飛ばして駆けつけ、何時間も付き添い看取ってあげながら、葬式に遅れてもまったく悪びれない父は、不思議な人である。どちらがいい、というわけではない。ただ、父は深夜に義兄を看取ることはできても、葬式の開始時刻に間に合うことはできなかったのだ。
おそらく、私の両親は悪い人たちではないのだろう。
しかし、私はそんな両親とは一緒に暮らせないと思うし、できればこれからも暮らしたくはない。