毎日違う土地で眠りたい

「わたしたちはそういうふうにますますなって行くんじゃないかと思うのよ、ヘレン。人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたしはしまいには、どこかの場所がわたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」――『ハワーズ・エンド』(E・M・フォースター/吉田健一・訳)

「いつ・どれくらい」という具体性を手に入れるまで  ――親との距離について

f:id:hikidashi4:20190719202512j:image1人暮らしをして思うようになったのは、私の両親はとても料理が下手だったのだなぁということだ。

私は食べ物の好き嫌いの多い子どもだった。ナスもカボチャも豆類も嫌いだったし、大きいトマトも嫌いだったし、ホウレンソウもあまり好きではなかったし、とにかく挙げればきりがない程度には好き嫌いが多かった。

しかし、一人暮らしを始めて初めて自分でかぼちゃを煮たところ、そのおいしさに感動した。ほくほくなのである。味付けもちゃんとかぼちゃの味がする。私の母親の煮たかぼちゃは、いつもやわやわのべちゃべちゃで、箸でつかむと崩れてしまっていた。さらに、しょうゆの味が濃かった。

 

玉ねぎとねぎだけはいまだに苦手だが、それ以外はほとんど食べられるようになった。

料理はレシピ通りに作ればだいだいおいしくできることは、大変な発見だった。母親の料理の腕前は上記の通りだが、父親はもっとひどかった。彼は料理の本を買うのに、全くそれを見て料理を作らないばかりか、化学調味料は体に悪いと思い込んでいたので、味付けがいつも「健康的」なものだったのだ。

 

 ***

 

私は福岡市内に住んで、市内で働いている。両親が住んでいる実家も市内である。

それを言うと、どうして実家で暮らさないの?と聞かれることがある。その方が明らかに経済的だし、交通の便も大差がないからだ。

 

両親と離れて暮らしている理由を説明するのは、意外と難しい。

だいたいは、「その方が気を遣わなくて楽だから」と答える。そして、だいたいの人はこの答えでも納得してくれる。

しかし、本当はそうではないのだ。これは質問した人の家族が、私の家族とは環境が違うだろうと思っての答えなのだ。

 

たとえば、両親と待ち合わせをする。両親は必ず遅れる。

たとえば、父の車に乗せてもらう。彼は車を運転している最中にも電話を取るので、私は父の車に乗せてもらわないようになった。

たとえば、久しぶりに実家に帰る。とても雑然としていて、ある一定の生活スペース以外はずっと物が出したままになっている。

 

だいたい何時くらい、だいたいどれくらい、ということを彼らは守ることができない。そして、実家暮らしをしていた時、私は「ほとんどの人がそうなのだ」と自分を納得させようとしていた。

しかし、私はどこかで気づいていた。私の両親はとても怠惰である、と。けれども、それを指摘して彼らがそれを直すことはないとわかっていたし、私は家で自分だけ規則正しい生活をする気力もなかった。

 

結果として、両親と離れてみて、私はとても楽になった。

私は彼ら独自のルールに合わせるより、世間のルールに合わせる方が楽なことを発見したのだった。彼らの「いつ・どれくらい」は常にフィジカルなもので、きちんとした基準がないのだ。

世間のルールが自分には厳しすぎると感じることも、よくある。私は数字が苦手だし、予定を立てるのが下手な上、それらを達成する能力にも欠けているのだ。

しかし、両親と会うと、それでも社会のルールで生きていく方がいいと感じる。

 

 ***

 

叔父(母の兄)が亡くなった時、私は父の車で葬儀場へ行ったのだが、彼は葬儀場は分かっていると言っていざ着いてみると、誰もいなかったことがあった。葬儀の開始時間はとうに過ぎていた。それでも父は、「おかしいな、でも大丈夫大丈夫」と言っていた。結局、30分くらい遅れて本来の式場に着いた。

叔父は身寄りのない人で、実の娘が一人いたが、彼女はほとんど見舞いに来ておらず、臨終の際も病院に来なかった。そんな叔父に唯一頻繁に顔を見せに行っていたのが、私の両親だった。彼らは叔父が危篤だという連絡を深夜に受け取って、午前2時まで叔父に付き添い看取ってあげていた。

 

深夜に車を飛ばして駆けつけ、何時間も付き添い看取ってあげながら、葬式に遅れてもまったく悪びれない父は、不思議な人である。どちらがいい、というわけではない。ただ、父は深夜に義兄を看取ることはできても、葬式の開始時刻に間に合うことはできなかったのだ。

おそらく、私の両親は悪い人たちではないのだろう。

 

しかし、私はそんな両親とは一緒に暮らせないと思うし、できればこれからも暮らしたくはない。